帳を張る

帳を張る

 

嫉妬しているさまを見せたくないドランクの話


 微かな圧迫感にドランクは息苦しさを覚える。すこし硬い寝台で瞼を上げれば飛び込んできた一色に視界が埋まった。
頭を挟む重み。柔らかい。意識が徐々に覚醒して、それ、が何か思い至った。
胸の谷間である。顔を埋めて眠ったらしい。
刺される、と反射的に身構えたが彼女はまだ夢の中であった。
様子をそろりと伺って散らばる赤と薄ら残る歯形の数に目を剥いた。確たる記憶がない。客観的には咎められる関係性ではない、と思っている。思いたいしスツルムが厭なら酔っ払い相手、この身は冷たい床に転がっていたはずである。
 かすかに酒の名残りを感じる頭を鈍く働かせる。昨夜は仕事終わりに適当な飯処にスツルムと連れ立って入った。いつもみたいに酒を傾けながら肉に齧り付くスツルムを眺めている途中、以前依頼を受けた相手に会ったのは覚えている。防具専門の商人だっただろうか。年若いが繁盛しているようで整った身なりはすこし酒場には不釣り合いな姿に思えた。
 物腰の柔らかい好青年で金払いもよく依頼人としては上々の相手であった。しかしドランクの内心は複雑である。
 照れ隠しでスツルムは大抵その関係性には否定的だがドランクにとっては恋人に近づこうとする他の男を好意的に見られるわけがない。が同席を拒むほど狭量ではないし、スツルムを一瞥してもさして抵抗があるわけでもないようなので表面上にこやかに着席を促した。
 主に会話をしているのはドランクでけれど視線は明らかに彼女に向いている。護衛した時、二度ほど命の危機を救っていた。見慣れているドランクですら惚れ惚れとして胸が高鳴ったのだから依頼人が同じ気持ちを抱いても不思議ではない。否、抱かない方がおかしい。あんなに格好いいのだ。ドランクには当然としか思えなかった。
 依頼が終わった時も、彼女を誘う口実を探していたのを見ていたので嫌な予感はしていた。案の定、会話の最中、スツルムは試作品の防具を見にこないか誘われていた。完全に彼女にだけ向けられた発言に口を差し込む余地もなかった。それに真剣な誘いにまで牽制するなんてなんだかそれはとても格好が悪いし十は下の相手にひどく大人気ない。スツルムにそんな姿見られたいわけがない。
 大体、スツルムが同僚だ、恋人じゃないなんて言い張るものだから相手だって可能性があると勘違いする。明日、予定が空いているのも間が悪い。
美味しいお店を見つけたから次のお休みにでも食べに行こうよ、くらいの口約束はある。彼女も返事していたが単に相槌を打っただけかもしれない。
「スツルム殿、武器とか防具とか好きだもんねえ〜お店に並ぶ前のが先に見られるなんてきっと楽しいと思うよ」
気が進まずとも口元を緩ませるのは簡単である。
隣のスツルムが無表情ながら興味があるのはわかっているのであまり我儘を言うのも憚られた。
見学の後、食事くらい行くかもしれないがそれだけだ。スツルムが隣にいてくれる確信が揺らぐほどのことでもない。どれほど邪険に扱われようが大事にされているのは分かっている。
その事実で嫉妬心が慰められるわけではないが恋人だからといってスツルムの行動を制限するのは横暴だろう。ドランクはいくらでも縛ってくれていいのだけどスツルムが悋気を認めてくれない故にあまり機会に恵まれてはいない。
 行くか行かないか、スツルムが頷いたかはっきり覚えていなかった。多分、頷いたから面白くない気持ちを誤魔化すように酒を重ねて失敗した。限界を見誤るなんてことはないのにスツルムが傍にいるせいで気が抜けていたらしい。さすがに人前では醜態を晒さなかったが彼女と二人になり席を立った時、ぐらりときた。
そのまま部屋まで背負われた記憶がある。
そこからは断片的だった。ただいかないで、だとかみっともなく懇願したのは覚えている。怪訝な表情の彼女にそう縋りながら、寝台に押し込めたのだろう。
 視線を上から下へ、目についたのは体液が腿を伝ったいくつもの跡だ。
あまり記憶にないせいかなんだか他人に汚されたように思えて、ひどく不愉快だった。
そっと起こさないように抱き上げる。
浴室に足を踏み入れて、蛇口を捻った。浴槽に湯を溜めている間、彼女の体を爪先から髪の毛一本まで丁寧に清めていく。赤い色も歯の形も残したのは自分だと分かっているが、見ていると苛立ちが募る。
指先に宿した魔力で綺麗に癒して、もう治らない傷跡だけに戻していく。
 湯船に幾分か浸かって、浴室から出てもスツルムは眠ったままだった。つい小さい体を抱きしめる。暖かい。このままでいたい気持ちを捨て置き、寝台におろしてドランクも隣に潜り込む。
罪悪感の片隅で今日はこのまま眠っていたらいいのに、なんて思いながら指先を頬に滑らせては赤い髪に通す。唇を近づけて重なる寸前、開かれた瞼から瞳が現れる。
「……おはよう、スツルム殿〜…ごめんね、体、大丈夫? その、酔っててあんまり覚えてなくて……」
返答はなく気だるげに視線をスツルムは投げただけ。怒りの深さに会話すら放棄したいのか単に眠気が勝っているのか判断がつかず、沈黙の隙間を埋めるように唇を動かし続ける。
「スツルム殿、汚れてたから勝手お風呂に入れちゃった。傷も全部治したと思うけど、どっか痛いとこあったら言ってね〜。あ、でもほらスツルム殿、早く支度しないと…まだ眠いよね……もうちょっと寝る?」
頷いてもう一度、瞼を落としてくれる一抹の期待を繰り返し抱いたが律儀な彼女が約束を破るわけがなかった。
緩慢な動作で体を起こし下着をつけ始めたスツルムにドランクは諦めてまだぎこちない彼女の代わりに服を選ぶ。いつもの、はやめた。露出が低くて、体型が分かりにくいものがいい。とはいっても動きやすいのか彼女の服は脚が出ているものしかない。
「これにしたらどうかな〜? こないだスツルム殿が買ってたやつ。この天気なら丁度いいんじゃない?」
「何でもいい」
欠伸を一つ、寝台の縁に腰掛けるスツルムに服を着せていく。髪の毛を梳かして、軽く角も手入れして、爪も整える。ふとドランクが贈った飾りがあったのを思い出す。
「うん、可愛いよスツルム殿〜やっぱりこれ似合うと思ったんだぁ〜」
立ち上がって鏡を見たスツルムは、角の飾りに触れて一瞬、顔を顰めたがそのまま唇が引き締められただけだった。
 口にした通り可愛い。隣に歩くのが自分ではないので喜びは半減である。
見ているのも厭になってきて、もそもそと布団に戻っていれば、肩口に鈍い痛みが走った。殴りつけた手を腰に当て、見下ろすスツルムは機嫌が悪い。ドランクの見立てた格好が気に入らなかったのだろうか。
「おい、何してる、ドランク。おまえもさっさと準備しろ。行きたいって言い出したのおまえだろ」
「え、……」
「大体早く行かないと並ぶっておまえが言ってたくせに……」
「……あ、覚えててくれたんだ」
小さくこぼした口元が緩む。きっとスツルムには聞こえていなかったのだろう。嬉しさを噛み締めぼんやりとスツルムを見つめるドランクに痺れを切らしたのか立ち上がって、一人扉に向かっていく。
「待って、待って、スツルム殿〜! すぐ着替えるから!」
弾かれるように寝台から飛び出したドランクは先ほどし損ねた分の口づけを落として、反射的に繰り出される鋭い刃の一撃を嬉しそうに受け入れた。


2023年8月14日