怪我

怪我

 

怪我をしたドランクが心配でベットに潜り込んでくる話


 寒い、と思ったのは一瞬だった。意識が浮上して真っ先に感じたのは握られた手の温もりである。白い天井。寝台の柔らかさ。半身を起こすと赤い髪が視界に飛び込んできた。相方が突っ伏して眠っている。
 燃えるように同じ赤が舞う。閃く剣。じわりと記憶が蘇る。ひどい戦場だった。敵も味方もわからなくなるくらい凄惨で背中にいる気配だけを頼りに戦った。報酬の割りにも合わない受けるべきではなかった依頼である。下調べの足りなかったドランクの落ち度だ。昏倒してスツルムに背負われて離脱したのを最後に記憶が途切れている。怪我、が原因ではないだろう。痛みもない。
「……ドランク?」
身じろいたのが伝わったのか彼女の面が上がる。その瞳を見てやけに安堵した。
「おはよう、えっと……僕どれくらい寝てたの」
「……三日だ。この……!」
振りかぶられた手が力なく落ちる。ばか。と消え入るような声だった。目の下の隈が痛々しい。指先で思わず触れる。温い水滴が伝った。
「ごめん、心配かけちゃったみたいだね……ここは安全なの」
「問題ない。戦場から離れた島だ。小さな町医者がいるくらいだったからお前が目覚めるまで宿を連日借りてる」
握り締められたままの手のひらに力が籠められた。彼女にしては冷たい温度だ。
「……体、大丈夫、なのか」
「大丈夫大丈夫〜、ちょっとね、一気に魔力使い過ぎちゃったの。それだけだから」
少し危うかったのだ。あのままでは敵の手が彼女に至りそうで無理矢理一掃した。狙いを定めずただ暴力的な力を広い範囲に向けるのがあの時は最上だった。
「……何か食べ物でもとってくる」
そう言って出て行った彼女はしばらくして食事を乗せた盆を手に戻ってくる。
差し出された匙に瞳を瞬いた。
「……おい、早く食べろ」
「え! スツルム殿が食べさせてくれるの〜!」
「さっさとしろ、腕が疲れる」
 身を乗り出して、匙を口に含む。病人食だ、当然、温くて味が薄い。がスツルムが食べさせてくれるだけで豪華な食事よりずっと上質に感じる。生きて本当によかった。
 その後もスツルムはドランクの世話を甲斐甲斐しく焼いてくれた。数日は彼女に頼りきりであったが実際、一人でも不自由があったわけでもない。
魔力切れが原因であって別段、目覚めてからは不調でもなんでもなかったのだけど、スツルムが付きっきりでいてくれるのに断る理由もない。
ただ構ってくれるからとずっと病人を装っているのはやめた。スツルムが時折不安そうにするので罪悪感に苛まれたのである。刺されもしないなんて、ドランクが昏倒して中々目覚めなかったのがスツルムには相当、堪えたのかもしれない。スツルムがこれほど弱りきっているのは初めてだった。
 しかしドランクが仕事に復帰してからは憔悴していた様はなりを潜め彼女は普段と変わらず剣を振るう。寝たきりの日が続いたせいか筋力の衰えを僅かに感じ調子を取り返すのに少し時間要したが、大きな外傷を負ったわけでもない。すぐにいつも通りの日常が進む。こんなことあったよね、なんて笑い話になるのもそう遠くないとドランクは思っていた。
 だがその夜は、いつも、とは違った。
ふと目覚めて、思わず叫びそうになったのだ。丸まった猫のように小さな体が寄り添って眠っている。彼女と部屋は同じだが寝台は別だ。赤い髪が夜の闇の中でも厭に映える。どうして。もしかして心配で潜り込んできた、なんて浮かれそうになるがきっと寝床を間違えたのだ。普段はしっかりしてるのにちょっと抜けてるんだからあなんて思いながら、その寝顔を眺める。可愛い。出来心にそっと頬を突く。そのふにふにとした弾力に自然と口元が緩む。彼女は起きる気配がない。その警戒心の強さがドランクには向けられていないのを改めて実感して、胸が熱くなった。
相棒という関係上、決して手にすることがない柔らかな温もりが腕の中にある幸運を噛み締めながらドランクは瞼を下ろす。スツルムの方が朝は早い。自身の失態を恥じて何もなかったことにするだろう。隣にあることが当然で一番安心出来るスツルムの香りに包まれながらゆっくりと眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 どうやら寝床を間違えたのではないと気づいたのは、それから幾日か経った後のことである。
その日は何となく目が冴えて眠れない夜だった。何度か寝返りをうって、少し先の布団が動くのが見える。手洗いに立つのかと思いきや、彼女の足取りは迷いなくこちらに向かうものだった。思わず瞼を落として、寝たふりを装おう。布ずれの音がすぐ側で聞こえた。冷たい空気と共に熱を帯びた体が密着した。頭が胸元にある。しばらく彼女はそのまま動かない。小さな吐息が胸元を撫でた。心音を聴いていた。そう気づいて、胸が軋んだ。まだドランクをスツルムは心配していたのだ。もしかしたら目覚めた時からずっとこんな風に夜中に布団へ潜り込んでは安心していたのかもしれない。痛いほど早なる心臓の鼓動を聞かれる前に彼女が離れてほっとした。
少しくらい唇が綻んでもこの暗闇ならわからないだろう。ドランクが幸福に浸っている間にスツルムは眠ってしまった。
次の日もその次もスツルムはドランクの寝床に潜り込んでくる。昼間のドランクの扱いはいつも通りなのに本当は気になって心配で仕方ないらしい。なんて可愛いんだろう。こんなに大事にされているなんて誰かに自慢したいが、同時にドランクだけが知っている彼女の一面であってほしい。
 ただ手放しで喜んでいられたのは最初だけだった。数日続くと気づいてしまった。寝台上で常に柔らかい二つの塊が押しつけられているし、時折、素足が触れる。この腕の中にいるのは、ドランクにとってはただの相棒ではない。
触りたい。駄目だ。何を考えている。欲情するなんて最悪だ。純粋に心配している彼女にこんな不埒な感情を浮かべてしまってひどい罪悪感を覚える。だが上手く眠れない。寝不足が続く。
このままでは危険だと悟ってその日、部屋を分けるつもりだったがスツルムに反対された。宿代が勿体無いと言っていたが明らかにその瞳は憂惧に満ちていて、顔色の悪いドランクを案じている。その気遣いが悪化させるだけなんて彼女が知るはずもない。
案の定、その夜もスツルムは同じようにドランクの隣にひっそりと身を寄せてくる。胸元に耳、心音を確認する動作、安心してドランクの腕の中で丸くなる。
スツルム殿、と口にすれば、大きく肩が跳ねた。
そろりと上がった視線と絡む。
「……ま、間違えた。悪い」
腕の内側に入り込んでいるのにその言い分を彼女は通すつもりなのだろうか。普段なら気づかないふりでもするけど今はそんな余裕もない。
「えっとお、スツルム殿、最近ずっと夜中に僕のベットに潜り込んでるよねえ。ごめんね、ずっと寝たふりしてたの」
真っ赤になって声も出せず唇をただ開閉させるスツルムは、最後には開き直ったのか憮然とした表情で睨め付けてくる。可愛い、がこの状態でそんな顔をしないで欲しい。理性の強固さを試されているのだろうか。
「普段、全然そんな素振り見せないのに、可愛いんだから〜」
「う、うるさい!」
脚を蹴られたが離れるつもりはないらしい。ドランクに知られているなら恥ずかしさに寝台から出ていくと思ったがその目論見は外れてしまって、内心、頭を抱えた。自身の羞恥以上に心配されているのである。嬉しい。だがこのままだと困る。さりげなく引き離して、理性を溶かそうとする凶悪な膨らみや生足から逃れる。露出の高い服を着ている彼女の健康的な脚を毎日、目にしているわけだがそれが白いシーツに投げ出されていると途端に艶やかで否応にも隠している欲を暴き出す。無理矢理視、線を剥がし、彼女へ向き直る。
「あのねスツルム殿、こんなことしちゃ駄目だよ〜、男のベットに入ってくるなんてね! 襲われちゃうよ。ほらあそんなに心配しなくったって僕の調子も戻ってるし元気だから………ね、自分のお布団にもどって」
「……別に。大丈夫だ」
空けたはずの隙間が再び埋まった。
信頼されきっているのか。それとも襲われても撃退する自信がそう言わせているのだろうか。嘆息が口を吐いた。
「大丈夫じゃないでしょう? 僕のこと男だってわかってるよね」
小さな肩に手をかける。敷布に押しつけて、覆い被さるよう見下ろした。
「いくらスツルム殿が強いからって、こんなふうにされたらどうするの、魔法、使われたら逃げられないでしょ」
「…………だから、大丈夫だって言ってる」
警戒心を持って欲しくて服の内側に手を滑り込ませているのにドランクを真っ直ぐ見る強い視線は変わらなかった。すぐに逃げられるよう力を緩めているせいで侮られているのだろうか。
ため息が一つ、しかしそれはスツルムの唇から落ちていた。
「………ドランク、お前、なんで今日はそんなに察しが悪いんだ」
スツルムは囲いから抜け出したがドランクが想定していた動きではなかった。首に腕が絡む。赤い色が眼前を埋めた。一瞬、触れられた唇からじわりと熱を帯びてゆく。それ以上に彼女の顔は朱に染まっていて、口づけられた実感をゆっくりと認識する。
「お前が倒れた時、もっと色々一緒にすればよかったって後悔した」
手が重なって、胸元に引き寄せられる。ドランクの掌から少しはみ出すくらい大きくて柔らかい感触につい動かしてしまってだがスツルムは、恥ずかしそうに視線を逸らしただけだった。
大丈夫。何をされても大丈夫。そういうこと。
「………だからこういうことも…その……」
したい、言葉を模る前にそれはドランクの唇に飲み込まれて、消えていった。


2022年7月14日