リミット

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新婚状態の二人の話


 周辺の街々では不幸なことに数カ所の国で戦が勃発し傭兵たちにとっては幸運にも仕事が溢れた。スツルムとドランクもその恩恵にあずかり依頼が殺到した。といっても限度がある。全てに手が回るはずはなく、しかし顧客を維持するためにもある程度は受けざるを得なかった。そのせいがここ最近、類を見ないほど忙しい。島を渡っては剣を振るい、一旦簡素に結果を報告をしてはまた次の島へ向かう。
 少し落ち着いてきた頃、一度ギルドにスツルムは足を向けた。きっと家族からの手紙が溜まっている。受け取ってさっさと出るつもりだったがどうもギルド内は慌ただしく不審に思っていればドナに引き止められた。積まれた書類の山。スツルムはげんなりした。あまり事務作業は好きではない。提示された報酬額にしぶしぶ付き合う。こういうのはドランクの得意分野であるがあのエルーンはここには寄り付かない上、現在、片付けたばかりの依頼への報告書の作成に追われていたはずだ。
 この事態の原因はヴォルケの不在らしい。普段、細かい調整をしている男がどうも別件にかかり切りになり色々な所で混乱が生じたようだった。
体制を見直さなきゃねえ、だなんて言うドナの前にも次々と書類が追加されていく。
このままでは丸々一日かかりきりどころかヴォルケが戻らない限り机に張り付きっぱなしだろう。すぐ出るつもりできたので、ドランクへの言伝を今から仕事に向かう同業者に頼んだ。
それからひたすら作業をこなす。書類は減らない。むしろ増えてすらいる。何度か夜を超えて、文字を追うのにも飽いてきた頃だった。
「スツルム、二日かそこら休んできていいよ、あんた新婚なんだって?」
怪訝に眉を寄せた。新婚。一瞬、その単語を向けられたのが自身だと認識出来なかった。誰かに話したつもりはない。ドランクの指には装飾品が一つ増えたけど剣を振るう妨げになるからスツルムは指輪は付けていなかった。
彼女の疑念を見透かしたようにドナは笑って言う。
「あたしには特別な情報網があるんだから知ってるさ。最近、大量に依頼を受けて忙しくしてたってことも。あたしが引き止めといてなんだけどすこしゆっくりしたらどうだい?」
「いい、別に何か変わったわけでもない」
スツルムの家族と小さな式を挙げただけだ。それから別段、変わりなくいつもと同じ傭兵稼業の日々が続いている。過度に依頼が舞い込んで落ち着く暇もなかったせいでもあるが何を今更とスツルムは思っていた。両手で足りない年数を共に過ごして、ただこれからも隣にいる契約をしただけだ。
「いやあ、あんまりほっとくのは良くないと思うけどねえ……」
「浮気されるとでも思ってるのか」
「そういうのじゃなくってさ…まあとにかく一度戻ったら? こんな座りっぱなしじゃ効率も落ちるだろ」
 それは最もだった。普段使わない筋肉を酷使したせいか肩から腰が痛む。そういえば忙しさに近頃、鍛錬もおざなりになっている。新婚云々よりそう言われた方がよっぽど合理的で頷ける。ドナの提案を受け入れたスツルムはこの島にきた時、取った宿に戻る。スツルムの伝言の返答にギルド宛へ手紙が届いていた。当分は滞在すると書いてあったのでドランクはまだここにいるはずだ。ドランクもあの大量の依頼の事後処理に終われているなら宿からあまり出ていないだろう。推測通り扉を叩くとドランクが現れる。
「あれえ、スツルム殿〜!? お仕事終わったの〜!」
破顔して部屋に招き入れるドランクは無造作に髪を束ねていつも以上に気の抜けた格好だった。
「休みを貰った。明日の夕方頃にはまた戻る」
「え、そうなんだ……残念だなあ……でもギルド今、大変なんでしょ、仕方ないよねえ。あ、こっちは僕に任せといて〜」
「悪いが頼む」
うん、と笑って近づいてくるドランクに思わず身構えたが一人分の空白を残して、まごついている。
「……おまえ何そわそわしてるんだ」
「だってえ、こんな格好なんだもん……まだお風呂も入ってないし……臭いでしょ」
スツルムから距離を詰めたがわからない。変わらないドランクの匂いだ。
「別に、いつもと同じだろ……」
「えぇ〜そうかなぁ……」
袖口を鼻に持っていくドランクは顔を顰めている。
「とりあえず飯だ」
「うん、僕もお腹ぺこぺこだよ」
その割には風呂に入ってくると言って一時間待たされた。お腹が空いているのに。苛々して刺したらやけに喜ばれて、鬱陶しくついもう一度突いてしまった。それでも締まりのない表情をしているので置き去りに部屋を出た。
慌てて追いかけてくるドランクは歩幅を合わせてゆっくりと隣に並ぶ。
 一緒に歩くのも久しい気がする。ドランクは離れていた分を埋め合わせるかのように絶え間なく唇を動かしていて、呆れを通り越し感心する。よくもここまで話題が尽きないものである。
「一つ交渉が難航してるんだよねえ……、最初提示された金額より安くってさ〜」
「次からは受けなくていい」
「今までは金払いがよかったんだけどね、仕方ないかなあ」
 話題が仕事に変わった頃、ちょうど店に着いた。鉄板で肉が焼ける音と共に香ばしい匂いが扉を開いた瞬間に押し寄せて、思わず喉が鳴る。
「ここ雑誌に載っててスツルム殿が好きそうだと思ったんだよね〜」
よく下らないことでスツルムを騙してくるせいで穿ちがちだがドランクの食に関してだけは一目置いている。好みの肉料理につい進む酒は何杯目かわからない。
「おまえは飲まないのか」
「うーん、今日はやめとくよ。スツルム殿もさすがに飲み過ぎじゃない?」
その言葉に並んだ空のグラスを眺めて注文をやめた。酔ってはいないが頬は微かに熱を帯びている。昼過ぎからとはいえ明日もまたあの書類と格闘しなければならないのでほどほどにすべきだろう。代わりに肉を追加して、口いっぱいに頬張る。あまり多くは含めなくてもどかしい。
 ドランクは相変わらず何が楽しいのかスツルムの食事風景を嬉しそうに眺めている。ついてるよ、と伸ばされた手先が口元を掠めた。よくあることなのに久しぶりのせいか何だか気恥ずかしく食事中であるのを忘れて思わず脚を蹴ってしまった。

 

 

 

 

 スツルムが上がると入れ替わりにドランクは浴室に向かう。
また風呂に入るらしい。年頃の時の妹みたいだ。起きててね、と言われたので瞑想で時間を潰す。まだ話足りないのか。しかし、眠い。上手く集中出来ずスツルムは瞼を開ける。このまま暗闇に視界を預けていると眠ってしまいそうだ。
 珍しくいつも長風呂なのにドランクが出てくるのは早かった。
「待たせてごめんね、スツルム殿」
「………ああ」
瞼が、重い。横になりたいと思った。しかしドランクが隣に身を寄せるよう座って、唇を開く。やっぱり話し足りなかったのだろう。普段なら眠いと一蹴するけれど新婚、とドナに言われたのを思い出して呑み込んだ。仕事なのだから仕方ない気もするがスツルムがギルドの依頼を安易に請け負ったのは確かだった。ドランクは依頼が全部終わったらゆっくりしようね、なんて言っていたことを反故にした後ろめたさもある。思考に意識を割いていれば名前を呼ばれた。
ドランクの顔がやけに近い。ぽたり、と水滴が頬を濡らす。
「……ドランク、おまえ、髪ちゃんと拭け」
「だって、時間が勿体ないじゃない」
 腕が回る。顔が、胸元に埋まった。密着する体が温かく心地よい。ドランクの匂いだ。まるで実家に帰ったかのように落ち着く。ああ、もう家族だった。手に当たる柔らかな髪を撫でた。
ドランクが何か言っている。だがとろとろとした感覚に少しずつ呑まれて、上手く聞き取れない。
スツルム殿。何か強請る時の声だ。そんな風に呼ばれた気がしたが迫る眠気に抗えず、意識は落ちていった。

 

 

 

 目を覚ますと窓枠を太陽は超えて頂上にあった。弾けるような子どもの声が起き抜けの頭に染み込む。明るい光に双眸を細め部屋を見渡せばドランクが卓上で書き物をしている様子が目に入る。
「おはよ〜スツルム殿。こんな時間まで寝てるなんて珍しいよねえ、すっごく疲れてたんじゃない? もうお昼だよ〜」
時計を見やれば正午を過ぎていた。慣れない作業に感じていた以上に疲労を溜め込んでいたらしい。
「悪い、話の途中で寝たみたいだ。おまえは起きてたのか?」
「うん、夜の方が捗るから。僕は今から寝ようかなあ……」
欠伸を一つ、スツルムの隣にドランクは潜り込む。
これでまた数日顔を合わせなくなるのか。ドランクを覗きこむ。まだ起きていた。迂闊なことをした。案の定金色の瞳が溶けるように緩む。
「え、なになに〜スツルム殿〜、おやすみのちゅーでもしてくれるの〜?」
「っ、するわけないだろ……、寝てろ……!」
布団をドランクの頭まで引っ張り上げて寝台から降りる。
軽く鍛錬して向かったギルドの執務室には相変わらず書類は高々と積まれていた。空いている席に着くとドナがにやにやして話しかけてくる。手は動いたまま。器用だ。面倒な気配を察して、視線を外す。
「で、どうだい? 戻ってよかっただろ。溜め込むのは後が怖いからね」
「ああ、そうだな。思ってたより疲れてたみたいだ。よく眠れた」
「……なに、あんた寝たの。ドランクは?」
「あいつは夜通し仕事してたぞ」
「…………あ、そう。可哀想に」
ドナにしては珍しく心から憐れむような口調だった。
スツルムも悪いと思っているが手出ししたところで手間を増やすだけである。今、目前のものにさえ四苦八苦しているというのに。
「まああとちょっと頑張ってよ、数日の間にヴォルケの方も片付くはずだよ」
「……ああ」
ドナの予想通り数日後、ヴォルケが戻ってきた。もう当分文字を見たくもないし書きたくもない。
「すみません、ギルドの方、大変だったみたいで……」
「いやあ、あたしも今まで全部あんたに任せっきりで悪かったよ」
「スツルムにも迷惑をかけたみたいで……新婚なのに離して悪かったですね……、報酬、色つけておきますから休暇でも取って新婚旅行にでも行ってきたらどうですか?」
なんだかばつが悪く憮然とした表情になる。二人してやけに新婚であることを重要視する。
「おまえまでなんだ。そんな大層なことじゃないだろ」
「あんたはそうかもしれないけどドランクは新婚気分かもしれないだろ。散々甘えてるんだからたまには喜ばせてやったら?」
結婚式でやけに浮き足立っていた姿が蘇ってつい舌打ちした。幸福そうな姿を悪くないなんて思ってない。
「今なら温泉とかいいんじゃない? ねえ、ヴォルケ」
「そうですね、手配しておきましょうか? 結婚祝いとでも思ってください」
勝手な事ばかり言っている二人から踵を返して脚をスツルムは早める。
「あ、報酬を取りに来るのは数日後でもいいよ〜仲良くね〜」

 

 

 

 

 宿に戻ると丁度ドランクは風呂上りのようだった。もしかしたらさっきまで眠っていたのかもしれない。
「仕事終わった」
「え、ホント〜! スツルム殿お疲れ様〜」
「おまえ髪、ふけって言っただろ」
屈むドランクの肩からタオルを取って頭をかき混ぜる。
顔を真っ向から見ずに済んでスツルムはすこし安堵した。
 ドナの提案に乗るのはなんだか癪な気がしたが、この目前のエルーンが喜ぶのは確かであった。
じわりと熱が頬を焼く。ただ何処かに出かけようと誘うだけじゃないか。仕事ばかりだったし働き詰めで体調を崩すのも良くない。休暇を取った方がいいのは明らかだ。ヴォルケだってあの調子だと旅行の手配をあっという間に整えてしまうだろう。
誰にするでもない言い訳を心中で並べたてていれば手が止まる。
「ね、終わった?」
「……ああ」
どうやって口火を切るか。頭を捻っていれば不意に太い腕が体を包んで抱きこまれる。足元が浮いた。
不安定に揺れる体躯に非難が溢れる間も無く首筋へとしがみつく。
落とされた先は寝台で影が体を覆い隠した。髪が窓から差す光を遮る。
「おい、ドラ……ッ」
声ごと熱い唇に飲み込まれて消える。視界に広がる金色が鈍く煌めいていた。

 

 

 

 

「ほらこないだの報酬だよ。なんだい、あんた寝不足かい?」
「ちょっと寝付きが悪かっただけだ」
「ふうーん……………首のとこ」
「っ……!」
「気のせいだったみたいだねえ、ごめんごめん」
「……ドナっ……!」


2022年7月14日