Promise
ふと一瞬、不安になったスツルム殿の話 R-18
街までの道に出没する魔物の討伐、という近頃こなした依頼の中では息抜きのような仕事が終わって、二人は宿へ向かう途中だった。別段、普通の一日だった。何故かドランクの機嫌が良い。いつも陽気に振る舞っている男だが今は鼻歌が聞こえてきそうなほどに上機嫌だ。スツルムの胡乱な視線にドランクは彼女の疑問を見透かした様で普段以上にお気楽な笑みを振り撒きながら言った。
「だって明日はお休みじゃない」
だからなんだというのだろう。スツルムは眉を寄せた。休日なんて長期の依頼でもなければそう珍しいものでもない。動かないのは落ち着かないが体力を要する仕事だ。休む重要さをスツルムは知っている。
「え、スツルム殿、約束したの覚えてるよね?」
「約束? おまえと?」
「ほらあ、こないだの夜、スツルム殿が剣研いでる時」
この間。剣を研いでいる。
剣の手入れをしているのにドランクがべたべた粘着してきた時だろうか。ドランクは風呂上がりだった。相変わらず長風呂でいつもならスツルムはもう寝台に潜り込んでいただろう。
同じ石鹸で体を洗い、髪を清めているのにドランクの香りはスツルムと違った。華やかなその匂いが背に纏わりつき、熱った体躯が寄り添う。それは別段不快ではなかった。集中していたのでドランクが話していた内容は覚えていない。ただ広い掌が腿を撫で始めたところでスツルムの意識は剣から離れた。ちょうど研ぎ終わり、邪魔だと払い除けるのが一瞬躊躇う。それを都合よく解釈したのか、服の中にまで指先が至るのに振り返って睨め付ける。
「……おい」
「なあに、スツルム殿〜」
一片の曇りのない笑みがある。悪びれる様子もない。
「……離せ、邪魔だ」
「お手入れ、終わったんでしょ、次は僕の相手してよ〜、いい子で待ってたんだからあ〜ちょっとだけ…ね、ねっ?」
近づいてくる笑顔を押し退ける。何を望んでいるか経験上、明白だった。ちょっとで終わることでもないしその言葉が守られたこともない。
「今日は寝る。疲れた」
「えぇ〜そんなあ……明日は〜?」
「明日も依頼があるだろ」
未練がましく肌をなぞる手を叩き落として、布団に潜り込む。欠伸が出る。ドランクが何か喚く。会話すら面倒になってきた。
「じゃあ、次のお休みならいいでしょ、ねえねえスツルム殿ったら〜」
曖昧にした返事は肯定だった、気がする。
「思い出してくれた?」
見計らったように問う屈んだドランクの顔が存外近くて、思わず剣が出ていた。
「いったあ!? そんなに照れなくてもいいじゃない、恥ずかしがり屋さんなんだからあ……」
「うるさいっ……!」
スツルムが足早に動いてもドランクはすぐに隣に並ぶ。余計なことが記憶に引っかかってしまったせいでこのまま宿に帰る気がなくなる。着いた瞬間、どうなるか想像出来てしまったことが余計、スツルムを苛立たせる。
適当な食事処に入って麦酒を呷った。ドランクが注文した料理が並ぶ。肉の匂い。食欲を呼ぶはずで、だがなんだか味がしなかった。
ドランクはいつも通りだ。食べるより会話に唇を割き、視線はスツルムに固定されている。
それ、が普段は気にならないが今は落ち着かない。平常を装いながらスツルムは酔える気もしない酒の追加を頼んだ。
別に初めてでもない。スツルムと入れ替わりに浴室に向かったドランクの後ろ姿を睨め付けながら思う。
そこから視線を引き剥がし敷布へ倒れ込む。冷たさが肌の温度を下げたが、すぐにぶり返す。頬の熱は風呂上がりのせいだ。そう言い訳する。厭に心臓の音がする気がした。約束、なんてドランクが勝手に言い出したことじゃないか。瞼を閉じる。眠れるわけがない。曖昧ながらも頷いたことは確かで律儀な彼女には後ろめたさがあった。煩悶している間にドランクの足音が近づいてきた。いつも遅いくせに。緩慢な動作で身を起こすとちょうどドランクと目が合った。途端、瞳を柔らかく細めたドランクについ視線を逸らす。
「ごめんね、スツルム殿、待たせちゃった?」
「……待ってない」
「でもちゃんと起きててくれたじゃない」
弾んだ声で囁いて身を寄せてくるドランクの顔を見られないままだ。どうしてこんなにも気を張っているのだろうか。戦火の中だって緊張することなんてないのにドランク相手にだ。
苛立ちに挑むよう睨みつけた瞬間、顔が近づいて思わず身が竦んだ。
「スツルム殿、真っ赤だけど熱でもあるの、今日はやめとく?」
掌が額にあてがわれる。
「…ッ、別に、問題ない……!」
触れられた場所からじりじりと焦げ付くようで思わず振り払ったがあまりに無意味な気がした。
これから行われることがこれくらいで済まないと知っているのに何を怖気付いているのだろうか。
「ほんと? ならいいけど……」
じっとドランクはスツルムを見る。笑みを消した真剣な眼差しが心臓を軋ませる。いつもへらへらしているくせにどうしてこういう時だけいたく真面目な顔をするのだろう。調子が狂う。
再び伸びてくる指先が髪に差し込まれて、耳を掠めた。追いかけるように唇が同じ箇所に触れる。肩が小さく震えた。服をたくし上げた手が胸元に沈む。耳朶を食む音が滲み込んで奥歯を噛んだ。ぞわりと這い上がる感覚に目の前の体を思わず押し退けようとしてびくりともしないことが指先を伝ってわかってしまう。動揺を押し隠すようにドランクの服の釦を外す。
「スツルム殿も脱ごうね〜」
軽々と臀部を抱えられ浮いた腰から下着ごと服が取り払われる。腹立たしいくらいに手慣れている。何人相手にしたらこんな風になるのだ。スツルムは触れられる度に暴れる心音を制するだけで必死なのに。
片手では足りない数を重ねているが幾ら経験しても慣れず何よりドランクはどういうつもりなのかよくわからなかった。
最初、二人とも酒が入っていた。そのせいだ。そのせいだとスツルムは思いたい。抵抗していたらドランクはやめた気がするから余計、酔っていたからと言い聞かせている。
だがスツルムは力が入らなくて殴るのも面倒になっただけ、なんて不本意な体でいながら、その後、明確なやりとりがなくドランクが当然のように手を出してくるのをふと不満で不安に思えた。
なにか一言、くらいあってもいいんじゃないか。それともそんなつもりはないのかもしれない。昼のドランクは今までと変わりはない煩い有能な相棒だった。苛々する。強く拒めないことも、ドランクの読めない態度も。
舌打ちしたくなる衝動は、重なる唇にかき消された。舌が侵入する。思考に沈んだせいか緩慢な動作になって、反応が鈍くなる。それが物足りなかったのか追い立てるように口づけが深まる。酸欠か強引に引き出された快感に酔ったのか、眩む視界で確認が一度、曖昧に頷くと熱が体を割る。余計なことを考えたせいだ、集中出来ない。早く終わってくれないだろうか。
「……ん、スツルム殿、あんまり良くない?」
動きを止めてドランクはスツルムの顔を覗き込む。心情を見透かそうとする金色の瞳から逃げたくて視線を逸らす。
「……っ、いいから、さっさと終わらせろ」
「えぇ〜そんなわけにはいかないよ〜」
腰を抱いていた掌が胸元に沈んだ。淡く色づいた先に唇が触れる。いつも弄られるせいか、舌での愛撫に順応しきっている体が勝手に反応して、腹の内側にあるそれを締め付ける。だが確かな快楽を覚えているはずなのに何処か他人事で上手く受け取れずにいる。
察しのいいドランクに伝わらないわけがなく、上がるその面には苦笑を飾っていた。
「……ほんとはあんまり気分じゃなかったかな? ごめんね、もうやめとこっか」
頭を撫でたドランクの手はシーツを押して体を起こす。抜ける熱。離れていく体温。考えるより先に手が伸びていた。
「……おまえ、どういうつもりであたしと寝て——」
どんなに小さくとも声に出してしまったことに気づいて歯噛みした。エルーンの耳はいい。掛布に潜り込むよりドランクがスツルムを腕に囲い込む方が早かった。
「もお、そんなの好きだからに決まってるでしょ〜どうしたの、そんな可愛いこと聞いてくるなんて〜! 僕に好きって言わせたいの〜?」
頬が燃え上がる。黙らせなければと思った。しかし察しのよすぎる男はあっという間にスツルムの言葉を深く解する。
「え、もしかしてスツルム殿、気にしてた? あれ、僕、言ってなかったっけ? だからさっきから、いったあっ!」
羞恥に固めた拳で殴る。素肌には痛いはずだがドランクの笑みは崩れない。こんな相手に憂いていた自分が馬鹿みたいだ。
「えぇ〜いつも言ってるよね、聞いてなかったの〜?」
「…………うるさい、だまれ」
こいつの、普段の態度が全部全部悪いのだ。何もかも嘘か本当か曖昧で本心を隠すように振る舞うから。だから勝手に思い込んで勘違いしてたわけじゃない。余計な恥をかいたのはドランクのせいだ。
心中でいくら並べ立てても口走った事実は消えず頬の熱はいつまでも冷めない。
「おっかしいなぁ……あ! ベッドの上でしか言ってないから? 気持ち良くってスツルム殿ったら聞いてないんでしょ〜」
「な…!?」
そんなわけないと脛を蹴りつけたが途中、いつも意識が飛んでいることをスツルムは自覚している。ドランクがそれを知らぬはずはなく、しかたないんだからぁだとか宥めるようスツルムの暴れる脚を優しく元の位置に戻して、ついでに唇を触れさせた。そのまま腿を頬擦って、うっとりしているものだから気持ち悪いなんて一蹴したのにどうしてかその瞳には喜色が灯るだけだった。
満足げなドランクは半身を起こして彼女を見下ろす。
「ね、試してみよっか?」
すり、と大きな掌が下腹部を撫ぜる。額に落ちた唇を辿れば細められた双眸があった。笑みを隠した表情にどきりとする。
「……スツルム殿の心配事はなくなったんだから今度はちゃあんと集中できるでしょ〜?」
臍の下、にぴたりとつけられる張り詰めたものは脈打って、先端は薄ら濡れていた。
「……っ、なんでもうこんな」
「……あんなイイとこでお預けされたんだもん。ほんとはとっても我慢してたんだから〜」
余裕ぶった顔つきでドランクはそう言って、だが、耐えきれないようそれは柔らかな入り口付近を往復した。ぞわぞわとした感覚と共に期待し始め、擦りつけられる度に愛液を絡みつかせる体に羞恥が募る。
「……いい?」
耳元で囁かれる声はあまり聞くことのない切羽詰まった音をしていて息を詰める。
「…………勝手にしろ」
「……うん」
首筋に腕を巻き付けたと同時に想像より強い快楽を伴って
中が埋まっていく。一気に最奥まで含まされた衝撃に縋り付くよう両脚を背に絡ませた。
「……はあ、スツルム殿、締めすぎ……もお、こんなのすぐ出ちゃうよ〜」
「っいちいち、そういうこと言わなくてい——あッ!?」
限界まで至っているのに強く押し上げられ、腰が跳ねた。両手で浮いた半身を固定されてそのまま腹の内側を先端が撫でていく。
「スツルム殿、この奥、こうやって擦られるの好きだよね〜……さっきと違ってちゃんと気持ち良さそうだし……よかったぁ〜いっぱいここ突いてあげるね……」
「ちが、やっ、そこ、やめ、ドランクッ、あっ、あ……!」
縋ると抱きしめ返された。体勢が寝台に押し付けるように変わり、早まる律動に合わせて、水音が弾ける。先ほどより明瞭に感じる形が奥にあたる度に絶頂の波を引き寄せる。
頬に触れた指先が目じりの涙をさらった。首筋や鎖骨を唇が撫で色づく。それを咎める余裕はもうない。
甲高い悲鳴をドランクの肩口に押し付けつけて、全身を震わせる。
「スツルム殿、イッちゃった? 中、びくびくしてすごくいいよぉ…」
睨んだつもりがただ涙を頬に滑らせただけに終わる。末端まで広がる快感に呼吸が上手くできなかった。短い吐息を繰り返すスツルムへ情欲に溶けた色が近づく。
口づけられて、中を掻き回す舌を受け止めるだけでも精一杯なのに達したばかりの体を揺さぶられ、視界が白んだ。
口端から唾液が滴るほど蹂躙された唇がようやく解放されても突き立てられたものの動きは激しさを増すばかりだ。言葉にならない甘い嬌声が限界を示しているのに柔らかな壁は穿たれる度に吸いついて、許容を超えた快楽すら歓迎している。
「すき、すき、スツルム殿、……好きだよ」
届く声が意味をなさない。霞む思考で腹の中を探る動きだけがやけにはっきりとしていた。
「ねえねえスツルム殿、聞いてた? あ〜やっぱり聞いてないよね……」
名前を呼ばれた気がした。ドランクと言ったつもりでしかし、唇が吐き出すのは甘い声だけだ。腹の奥に溜まっていく感覚を残して、快楽に意識が塗りつぶされていった。
腕が絡んでいる。体力の尽きた体躯では抜け出せそうにない。そもそも離す気が囲いを作っている男にはなさそうだ。
「ねえねえ、スツルム殿〜、僕の気持ち、ちゃんと伝わった〜? 言ってたでしょ、ね? ね? 聞いてる? スツルム殿ったらあ〜」
煩い。どうしてこんな男に好き勝手されて、それを赦してしまっているのだろうか。昨日の痴態が蘇り、ぎりぎりと奥歯が軋む。
「スツルム殿は態度も普段通りの方がいいだろうし、恥ずかしがるかなぁってあんまり言わないようにしてたんだけどぉ、不安になっちゃうならいっぱい言わないとダメだよね〜」
「は、はあ!? ふ、不安になんかなってない!」
「やだな〜あんな声で言ってたのにぃ〜可愛いかったな、あの時のスツルム殿……もちろんその後もとおっても可愛いかったけど〜」
上に乗ってくれて、僕の名前呼びながら動いてくれたり、キス強請ってくれるの可愛かったし、スツルム殿、後ろからするのも好きだよね〜、きゅうきゅう締め付けていつもより感じてるのわかってるのににやだやだなんて言うんだから、あんなの興奮しちゃうよぉ、中に出したら気持ち良さそうにイッちゃうのもよかったけどちょっと焦らしたら脚を絡めてスツルム殿ったら自分で腰振っちゃってさ〜でも上手くいかなくて泣いちゃうとこなんてもう。
思い出させなくていい飛んでいる記憶まで朗々と語り始めるドランクへ拳を作る。最も痛みを与えるには何処を狙えばいいだろうか。否、確実なとこがある。当分使い物にならなくてもいいだろう。考えていればあ、と声を一つ、いつもの軽薄でもなく、人を誑かす誂えたようなものでもない柔らかく笑んだ顔が視界を埋める。
「好きだよ、スツルム殿」
振りかぶるのを忘れて、頬がじわりと熱で焦げていく。逸らせない。逸らしたくない。
惚れた弱み、なんて言葉が過ぎりかけ、認めたくないスツルムは反する語を浴びせようとして、けれどその瞳を見ていると何も言えず、迫り来る唇を受け入れてしまった。
2022年6月14日