それはある日突然に

それはある日突然に

 

いつも酒に酔ったふりをしてスツルム殿に告白する話


「スツルム殿〜待ってよぉ〜」
覚束ない足取りで背後から抱きつくように彼女に寄りかかる。スツルムは眉根を寄せて振り払いドランクを一瞥するがそのまま無言で歩みを進める。酔っ払いに何を言っても無駄であると悟っているのである。
「スツルム殿はぁ〜カッコよくて、可愛いよねぇ〜」
横に並んでその顔を覗きこでスツルム殿。好き。だなんて際限なくその二つの単語を無意味に繰り返す。張り付かせた笑みは機嫌良く、軽い口調でいつも彼女をからかうような雰囲気が崩れないように装う。だって装わないと鈍いけれどドランクに関して鋭い彼女に暴かれる。酔っ払いの戯言だ。そう思ってくれないと困るのだ。
「……お前、うるさい、黙れ」
 十を過ぎた頃、いい加減、癇に障ったのか冷え冷えとした声色が響いた。がドランクに口を噤む気なんて微塵もない。だってドランクにはこんな風に酔いに任せて恋情を口にするしかないのだ。ドランクを仕事の同僚としか思っていないスツルムに本心を告げても叶わないだろう知っているから蓄積していくそれを何処かで発散しないと息苦しい。だから時折、酔ったふりをして、いつも宿への帰り道の間だけ好き、だなんて吐き出して、彼女にすこしだけ触れる。
 横に揺れる手を繋ぎたい。けれどただの相棒でしかないドランクには許されていないのを知っているから背後から一度抱きついただけで満足しなければならない。いつも汗と混じる火が燃え尽きた匂いが一瞬埋めた首筋からは香る。思い返して胸がいっぱいになったのでまた唇からは同じ言葉がこぼれたのだけど相変わらず彼女は無反応だ。ドランクがしつこく同じことを繰り返すので最近では刺されることもなくなってしまった。どんどん薄くなっていくその言葉の価値がなくなっていくのが悲しいけれど口にせずにはいられない。
 宿が見える。今夜はもうおしまいだった。

 

 

 

 

 またかと背後にかかる重みにスツルムは眉を潜めた。この間もその前も同じ。これだからドランクに酒を飲ませるのは厭なのだ。無意味な賛辞をつらつらと並べ立てたあとに零される響きはいつも同じ言葉である。側から聞けば甘い二文字はけれどあまりに軽く、頼りない外灯が照らす夜道に放たれては消えていく。
 泥酔した男は、元々軽い口が普段以上に緩んでいるのだろう。別段、好きでもないただの相棒相手に面白がって愛を囁いているのだ。そんな男に何か反応を見せるのも腹立たしいので無表情と無言を貫いているがいい加減に鬱陶しい。長く傍に在りすぎたせいか、親愛か恋情か、それともただの情なのか、よくわからないが擦り切れるものを持っていないわけではない。
隣に並ぶドランクの足元はどこか覚束なくて、だが、再び唇ははっきりと好意を模った。煩い。耳障りだ。
「なら結婚でもするか」
 仕返しだった。酔っ払いに馬鹿馬鹿しい八つ当たりだがこれを機に行いを改めればいいのだ。そんな戯言ばかり口にしていると好きでもない相手から詰め寄られる羽目になると思い知ればいい。ドランクが酒で記憶を飛ばすほどではないとわかっている。明日、ちょっとからかっただけだよ本気じゃなかった、ごめんね、だなんて謝ってくるに違いない。これでようやく下らない遊びから解放されるだろう。
 不意に足音が止まる。気にせず歩みを進めたがいつまでも追いつかない音を怪訝に振り返った。ドランクは薄暗い先で立ち尽くしている。声をかける前に影は近づく。ドランクにとってはたった二歩でその距離は埋まる。眼前に金色の瞳が広がるのはスツルムの目線に合わせてドランクが屈んだせいだ。いつだってそうだった。裾が解れたマントを時折、結ってやっているから知っている。
「ほんと? ほんとに? 僕とずっとにいる約束、してくれるの?」
上気した頰でひどく幸福そうにドランクは笑みを飾る。たじろいて、後ろに下げた踵が均衡を崩す。体勢を立て直す間も無く、その両脚は地から離れていた。
「っ、おい!」
肩に埋められる頭。抱きしめられた体躯は熱い。鼻先が触れるほど顔が近づく。あまりにもその瞳が本当だったから彼女は避けることを躊躇って、口づけを受け入れてしまった。

 

 

 

 

 軋む半身を起こした。剥き出しの肩が肌寒い。安らかな寝顔が隣にあるので頬を抓ったが、起きる気配はなく、彼女は再び掛布に潜り込む。
 酔った勢いでだとか相手を間違えてだとか、そう思うにはあまりにドランクは正気であった。彼女の名前を数えきれないほど口にしていたし宿までの道中とは比べものにならないくらいスツルムを寝台に連れて行く脚はしっかりと床を踏みしめていた。
 その認識はあまりに遅くやってきた。夢かと惑う記憶はしかし、訴える痛みが現実を思い知らせ、急速にその頬へと熱が集中した。どんな相手にも物怖じせず真っ向から対してきた彼女は初めて逃げたいと思った。
しかし、寝台を降りる前に背後から込められる力に歯噛みする。肩に乗る頭が重い。
「もお、どこ行くの、スツルム殿〜、お風呂? お風呂なら一緒に入ろうよ〜」
スツルムは振り返れない。硬いつま先に目線を飛ばしたまま呟く。
「……おまえ、酔ってたんだろ」
「僕、スツルム殿の前で一度も酔ったことなんてないよ〜そりゃあ、ちょっとその、フリ、くらいはしたかもしれないけど……」
本当に虚言ばかりの男である。
「ね、それより指輪とか、式とかどうする? スツルム殿が嫌なら無理にしなくてもいいけどぉ、その、僕、スツルム殿の、ドレス姿、見たいなあ……」
その声色はいつもの軽い調子よりずっと浮かれていた。ふわふわして夢見るよう幸せそうで柔らかい。
 今更、どの口が冗談であった、なんて言えるだろうか。言えるわけがない。
否、本当に冗談だったのだろうか。
 体をゆるしたくないならばいくらでもドランクを退ける術はあったのだ。例えば彼女の得意である力だとか。それを行使しない時点で答えはわかっている。
 再び頬が熱を帯びる。違う。そんなわけ、ない。冗談のつもりだった。けれどスツルムら後ろで先を語る男に違うと突きつけられない。だって、そんなことをすればどうなるか明白だった。
 ドランクは傷つくだろう。大抵、楽観的だがスツルムにはないような繊細さを持ち合わせているから泣く、かもしれない。スツルムが悪いのにドランクは勘違いしちゃってごめんね、だとか謝って、作り慣れた笑みを模る気がした。
 それはどうしてだかとても厭だった。スツルムは騒がしいのが嫌いなはずなのに、喧しくて煩わしくともまだこんなふうに馬鹿みたいに浮かれている方がずっと良かった。その感情が何なのか気づいているけれど認めたくない。
「スツルム殿ったらあ、僕の話、聞いてる〜? あ、もしかして体、辛いの? ごめんね、大丈夫……?」
覗き込んでくる顔と真っ向から対面して、息が詰まった。心臓が痛い。今更、それを自覚するんじゃなかった。はなせ、と零した声色があまりに弱々しくてドランクでも聞こえたかったに違いない。逸らしたいのにその眼差しから逃れるのがひどく困難に思えた。
 不意に頬にあてられる掌はひやりと冷たかった。違う。スツルムの頬が熱すぎるのだろう。近づいてくる顔に心拍が上がる。おかしい、こんなの振り払えばいいだけだ。それなのに意に反して思わず瞼を閉ざしてしまう。
「スツルム殿、顔、真っ赤だよ〜もしかして熱でもあるんじゃ……」
しかし、額に当たる感触は同じものだった。羞恥で言葉が出ない。
耐えきれず爪が食い込むほど握りしめた拳はドランクの鳩尾にめり込んで、くの字に折れ曲がる体からスツルムは急いで逃げ出した。


2021年8月9日