知りたくはなかった

知りたくはなかった

 

ドランクが思っているよりスツルム殿がドランクを好きな話


「ねえねえ、スツルム殿〜、どうだった〜?」
甘えるような声色をドランクはスツルムに向ける。
小さな体を背後から抱きしめようとして、しかし、腕は空をきった。諦めずに伸ばした掌が彼女の手首をさらう。
「スツルム殿〜、どこいくの? ね、もうちょっといちゃいちゃしようよぉ〜」
「うるさい、風呂にいく、はなせ」
鬱陶しそうにドランクの手を振り払う彼女は先ほどまで仲良くしていたとは思えないほどに冷たい視線でドランクを突き刺す。ドランクはその程度で怯む神経はしていないので払われた手を再び伸ばす。しかしすでに寝台を降りたスツルムには届かない。残念だ。
「えぇ〜じゃあ、一緒に……」
言葉を呑んだ。汚物でも見るような目がすぎ、スツルムはドランクの前から消える。構ってもらえるだけで幸せなドランクは彼女の視界に入りさえすればいいのでそれも悪くはないけれど優しい瞳を向けられたくもある。ドランクの言動が変わるわけがないので叶わぬ夢だ。
「また逃げられちゃったなぁ」
ドランクの溜息混じりの音は埋めた枕に呑まれた。
 スツルムは事が終わるととびきり不機嫌になる。当然、事後にドランクがしたがるような触れ合いだとか、甘い会話だとかが発生するはずがない。さっさと風呂に向かう彼女を未練がましく見送って寂しく独りの寝台で先ほどの行為を回想するしかないのだ。
 普段からドランクに厳しい彼女である。それでもこんな恋人じみた行いに付き合ってくれるのだから嫌われてはいない。いないはずだ。しかし、そう頻繁にゆるされるわけでもないのでドランクはその分多めにいちゃいちゃしたいのである。残念だがスツルムはそうではないし、むしろあまり好いてはいないだろう。
 体格差のせいかいつも苦しそうに唇は噛み締められ、敷布に小さな爪は食い込んでいる。背中に回していいよ、なんて言っても彼女は首を振るばかりだ。涙を浮かべた赤い瞳でさっさと終わらせろとばかりに睨まれる。それも可愛いのだけどたまには縋ってほしいし甘えられたいものである。
 せめて事後ぐらい、と思っているが行為中より彼女はつれない。顔すら背けられてドランクがいくら唇を動かそうが返答は生返事である。そのまま風呂に向かって戻ってくる頃にはいつも通りの彼女なので寝台でのことを引き摺るようなものなら当分口も利いてもらえなくなるだろう。実践済みなので身に染みているのだ。スツルムの意識をできる限り自身に向けていたいドランクにとって仕事に必要な事務的な会話だけの日々はあまりに辛かった。蘇る記憶に身震いして掛布に沈む。それよりも考えるなら昨夜のことだ。上気した頬に柔らかな身体。いつも気を張っている彼女がすこし緩む瞬間はドランクの前だけだ。
 次の機会を得るにはまた上手く彼女を誘わなければならない。それを考えるのは苦痛ではなく、一つの楽しみだ。今度こそ事後も甘い時間になるかもしれない。彼女の恋人というだけでドランクは幸せであった。想像するだけで口元が自然と緩むのだから。
 


 間違いだった。あんなこと赦すんじゃなかった。今更、スツルムはドランクとの関係を戻すつもりはないが、馬鹿な選択だったと自分の浅慮さを呪っている。彼女は頭からかぶっている冷水に汚れと共に熱を消しさってくれることを期待した。
いつもドランクとの行為は鮮烈に焼き付いている。それを早く忘れてしまわなければ、平常でいられない。こうやって風呂場に向かうのは逃げ出すようで苛立ちすら抱く。しかし、あのままだと彼女にとって痴態を晒すような気がして厭だったのだ。毎回そうだ。気だるさを覚える体躯に煩わしさを感じるわけもなく、巻きついてくる腕の温もりを心地よく思ってしまうのがいやだ。自分ではない気がして、気色が悪い。
 だがあのまま抱きしめられるのも悪くないなんて思ってる時点で手遅れなのだ。平静を取り繕っていたが、気を許せば、縋りつきそうだった。
 ドランクと夜を過ごしたあとは特に緩んでいる。なんなんだ。これは。
最中だってまるで自分ではないかのような振る舞いが心臓を焼く。ドランクの指が過ぎるたびにはねる体躯、自身の唇から溢れる声色も聞きたくない。だからはやく早く終わらせたい。ならばしなければいいと思う。だが自身の唇は断らない。嫌だと考えていないのだ。呼ばれる名前も口づけも触れられることも。その感情を誤魔化すようについドランクには冷たく当たってしまう。
 再び脳裏を過ぎる記憶にまだ頬は熱い気がしたが、いい加減風邪をひく。風呂場から上がったスツルムはいつもの格好を身につけて部屋へと戻る。ドランクが眠っていればいい。大抵はそうだ。けれど時折起きていて、しつこく会話を求めるものだから手が出てしまうこともある。ふとすれば流されそうになりそうだったから、物理的に黙らせただけだ。何故か負けた気がする。
 寝台の上でドランクはよく回る唇を閉じて静かに横たわっていた。どうやら今日は眠ってしまったらしい。すこしそれを惜しむ自身に舌打ちした。本当にどうしてしまったのだろうか。
 何気なく腰掛けて、その寝顔を見下ろす。無意識に伸ばした手が髪をすいていた。顔にかかっているから邪魔そうだと思っただけだ。いつまでも往復する指を前にしながら馬鹿馬鹿しい言い訳だった。
「……、ん、スツルム殿〜?」
 寝ぼけたような眼が彼女を写す。慌てて手を離し憮然とした表情を取り繕ったつもりでしかし、引き寄せられる体に心臓が大きく跳ねた。
「いい夢〜」
だらしなく緩んだ唇が同じものに触れた。それだけでぐらりと眩暈がする。熱い。腹立たしさではない。わかりたくもないそれ。否、わかっている。見ないふりをしているだけだ。こんな感情に振り回されるのは自分ではないような気がするから。だから首筋に埋められる頭を退ける気はなく、起きたドランクに対してどのように振る舞うかを必死にスツルムは考えるしかなかった。


2021年1月4日