LOVE!LOVE!LOVE!

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スツルム殿が大事すぎてきまずくなってしまうドランクの話


  我に返った瞬間、顔から血の気が引いていくのがわかった。熱に浮かされていた全身が急速に冷えていく。柔らかな敷布によって作られる波が動揺に震えた掌で乱れた。恐る恐る触れた頰は温かく、僅かな安堵を抱くも、閉ざされたままの目蓋に吐息まじりの名が溢れる。しかし、それに対するのは静かな呼吸音のみであった。

 傭兵として生きて長い。命を脅かす状況下に置かれることも幾たびあれど思考は鈍らず苛烈な痛みの中でさえ、冷静な判断を下せる自信があった。けれどもそれは好きな子を前にして簡単に霧散してしまったらしい。白い寝台に沈む体躯は、ドランクが落とした影のせいか一層、小さく思えた。傭兵仕事の名残だろう、すでに刻まれて治ることのない傷痕はいくつもある。それに交わるよう鬱血痕と歯形が滲んでいて、明らかに自身がつけたものに違いなく、だがあまりの痛々しさに目を逸らしたくなった。慌てて寝台から飛び降りたドランクは、湯を含ませた布を手に戻り、彼女の身を清めていく。最中に意識を飛ばしてしまったスツルムを目前にして、肝を冷やしているはずなのに視界にちらつく肢体がひどく蠱惑的にみえ、瞳を敷布へと逃す。魔法で裂傷は治癒したが、赤く散らばる痕は消えず艶かしさを余計際立たせていて、ぞっとした。

 気を抜けば、劣情に流されてしまいそうで、耳に届くほどの騒がしい心音にとても隅々まで綺麗に片すことなんてできるはずもなかった。掛布を肩まで被せて、寝台を背にずるずると床へ座り込む。赤い頰を手で覆っても、同じくらい熱い掌では何の慰めにもならない。

こんな状態の彼女の傍から離れたくないが、同じ部屋にいて寝顔を見ているだけに留まるとは到底、思えなかった。

 急かされるよう身支度を整えたドランクは宿から出て、早朝故に人がまばらな市をあてもなくふらりと歩む。冷たく頰を撫でる風すら熱を収めるには不十分で、止め処なく溢れてくる昨夜の情景が息苦しさを助長させた。

 ドランクは元々他人の感情に聡い。ましてや余すことなく瞳に写し続けたいと思うほどの相手に鈍感でいられるわけがなく、抱かれる好意が自身のものと差異がないのは、ずっとずっとわかっていた。
だが明確に言葉に出したのは昨夜がはじめてのことでほんの少しの恐れにいつもの軽口にも似せていたけれど確かに本当だったのだ。それが分からないほど短い付き合いの相棒ではない。ドランクが告げた瞬間、真っ赤に染まった顔が今も鮮明に記憶へ焼き付いていた。
 返ってきた音が怒っているかのように素っ気ない声色でもそれが照れ隠しだと知っている。心臓が痛くて、だけどそれでも囁くほどの小さな言葉に嬉しくて両腕の中へ閉じ込めた時も、思わず口付けてしまった時も、小さな体を寝台に抱き上げた時も理性的でいられると思っていた。否、そうでなければならなかった。
だって体の下にいるのは、大事な大事な想い人で優しくしなければならない。それなのになんてことをしてしまったのだろうか。きっとはじめてだったのに、理性を飛ばして明け方近くまで離さず、あんな姿にしてしまったのだから。
「……スツルム殿、怒ってるよね……」
独り事は地面に吸い込まれて消えた。頬はまだ熱い。いくら歩いても、昨夜のことが頭から離れないのだ。ドランクは諦めて宿への帰路へつく。
 外を彷徨っていたのは、おそらく数分だろうが、随分、長い時間に感じられた。戻った宿は、まだ静寂の中にあり、冷え冷えとした空気が重い。
 部屋の前で一つ息を落として、扉を開く。
その先にあるいつも通り身を整え、剣を携えようとしている姿に、まるで昨夜のことなどなかったかのように錯覚したが、服の合間からのぞく隠しきれない赤が現実を突きつける。
「……スツルム殿、えっと……」
頰に集まる熱に彼女を真っ直ぐ見られず伏せた瞳が床を写す。昨日はごめんね、体、大丈夫? 怒ってる? しかしどうしてか、それだけの言葉すら喉元で止まって上手く出てこない。
「ね、ねえ、スツルム殿」
「……腹が減った。下の食堂、空いてたか?」
遮るように言われた言葉はすこし掠れていた。
 それは甘い声を彷彿させて組み敷いた体を思い出す。噛み締められた唇。押さえ込んだ声色。蘇る音に目眩すら覚える。
「おい、ドランク」
「う、うん、空いてたよ〜 ここ量が多くて美味しいんだって〜」
スツルムを真っ向から見られなかった。昨夜の姿がちらついて、平常を保てない。
ドランクは階下に降りていくスツルムの後をゆっくり追いかけていった。

 

 

 朝から胸焼けするほど大量の料理が並べられた卓上でドランクの分は、パンを一つと湯気立つ珈琲くらいだった。普段は饒舌なドランクも食事時にはそれほど口を開かない。目前の彼女が食べている様子を眺めているのが好きで、今も皿の上にある料理が彼女の口の中で消えていく様を珈琲を手にぼんやり見ていた。
 平常であれば口いっぱいに頬張っているのを可愛いなあ、だなんて思っているのだけれども今日はなんだか落ち着かない。よく動く唇だとかフォークに絡む舌だとかを直視できず視線がうろうろと彷徨う。
口端に付いたソースを拭うのだって躊躇ったりしないのに、触れた瞬間、歯止めが利かなくなりそうで怖い。重症である。
「お前、まだ食べ終わらないのか?」
「え、あ、ごめんね〜 スツルム殿…!」
自失していたのだろう。気づけば空になった皿が並んでいて、ドランクの前にあるパンだけがぽつんと置かれていた。慌てて珈琲で流しこんだが、味なんてわからない。
「次の依頼、遠い辺境だろ。買いに行くものが多いんだから早くしろ」
椅子から立ち上がる姿は、常と変わらない。だが我慢強い彼女のことだ。顔には一切出さないだろうけど、疲弊していないわけがない。
「ねえ、スツルム殿、よかったら僕一人で行ってくるよ?」
「お前に任せると余計なものまで買ってくるだろ」
「えーそうかなあ〜? ちゃんと役に立ってると思うけど」
「いいからさっさといくぞ」
「え、でも……」
ドランクの制止に無言を返した彼女は、足早に出口へ向かっていく。いくら止めても無駄だと悟ったドランクは、その背を目に歩き出した。

 


 怒っている、気がする。当然だろう。あんな無体を働いて、そう赦してくれるはずがない。

いつも以上に硬い表情がそれを物語っていて、解決の糸口をドランクは必死に頭を回転させていた。
それなのに彼女が視界に入る度に、触れたくなるのだから考えがまとまらなかった。気づけば食い入るように見つめていて、お得意の唇すらうまく回らない。話題なんて彼女相手に尽きないはずなのに市を歩いている中、ずっと苦手な沈黙が横たわっていた。たまに見上げてくる顔だとか、触れそうになる体だとかを意識せずにはいられなくて、暗がりに連れ込みたい衝動を抑えるので精一杯だ。
 時折、歩きずらそうにしているのを見てはそんなことを考えている罪悪感にずきずきと胸を刺される。そんな風に思考に振り回されていたものだから、人込みによろめいた影に気付くのが少し遅かった。ぎりぎり避けたが隣のスツルムを巻きこんでしまい、彼女の体躯が傾く。
急いで抱き留めたが、触れた部分に熱が集中する。まずいと、思った。鼻腔を擽る彼女の匂いとその体躯の柔らかさに思考が鈍る。
慌てて引き離して、少し距離を取った。顔が熱い。誤魔化す様、人込みに目線を向けて、唇を吊り上げる。
「うわぁ~危ないねぇ~ごめんね、スツルム殿大丈夫だった~?」
「………ああ」
続く言葉が見つからず曖昧に作った笑みが空々しい。笑顔の下で考えている黒々した感情を知られたら軽蔑されるに決まっている。取り繕うのは慣れているはずだった。だけどどうしても上手くいかない。溜息をひとつ、歩き出す彼女の横に並ぶ。
 ただ買い物をしただけなのにやけに体力を削られた。ようやく一息つけると思って、だが夕暮れを背に宿に帰る途中、気づいてしまった。今日も宿は同じで、当然、同室だった。
果たして平静を保って隣で眠れるだろうか。
怒られるのはいい。だが嫌われたらと思うと胸が軋む。思えば、今日一度も刺されてもいなくて、相当、怒りの根は深い。それなのに感情に流されて手を出してしまったら、近づくのも嫌がられるかもしれない。
厭な想像に今からでも部屋を分けようかとも思ったが生憎他は満室のようで仕方なく外に出てようかと考える。
荷物を部屋に運んだドランクは、その後ろ姿を捉えて声を上げた。
「スツルム殿〜 僕、ちょっと出かけてくるねぇ〜」
顔を見ずほっとしながら踵を返す寸前。
「おい」
裾を引かれて振り返ると真っ直ぐ射抜く双眸があった。琥珀色の瞳が近づいたかと思えば、胸元を掴まれていて、息を詰める。必然的に腰を下ろした体勢は彼女との距離を否応にも詰めてしまう。
「どうしたの〜スツルム殿? 怖い顔して。あ、無駄遣いとかしないよぉ?」
口角を上げる。作り笑いだ。平常を装っていたが、内心では心音が忙しなく、息苦しい。触れそうなほど近いそこに、唇を重ねたらどんな反応をするだろう。ぐらりと誘惑が頭を擡げる。
駄目だ。理解している。理解しているけれど。
「……お前、あたしに何か言いたいこと、あるんじゃないか?」
首筋の所有印がやけに目についた。誘われるよう指でなぞれば、歯噛みする音が聞こえた。
言葉が頭に入らない。
「っおい、ドランク」
低い声を耳が拾う。それが違うものに変わる瞬間をドランクだけ知っている。あの声がまた聞きたい。
無意識で頭を引き寄せていた。腰に回した手が少しだけあった体と体の隙間を埋める。
唇を同じものに押し付けて、息を奪う。生温い感触がひどく心地よくて、その温もりを強く欲した。舌で唇をこじ開け、中を弄った。
「……っ……!」
肩に鈍痛。しかしそれはすぐに消える。角度を変えて何度も繰り返し、唾液を啜った。
ずっと貪っていたくて、だがふと腕にかかる重みが増したことで我に返る。
腕の中にある力の抜けた体躯にドランクは面を蒼白に変えた。浅い呼吸のスツルムは、惚けたような瞳でドランクを映していた。
「ご、ごめんね、スツルム殿! ど、どうしよぉ。生きてる? 生きてるよねぇ~?」
「っ、は、うる、さい……」
震える指先が肩を掴んでいた。剣呑に光る両眼が背筋を凍らせる。
「ご、ごめんなさい! 赦して、スツルム殿! 好きなだけ刺していいから嫌いにならないでよぉ〜!」
「っいきなりこんなことして、…なに言ってるんだ、お前は…!」
「だって、だってぇ、我慢出来なくて……!
昨日のスツルム殿すっごくかわいかったから、他になんにも考えられないし、今だって本当はもっと色々したくなるから~!」
おずおずと見返した彼女の表情は、思っていたよりずっと和らいでいた。呆れたような、何処か安堵したような。それは怒りとは程遠いもので一気に緊張が解ける。
「……お前、今日は、様子がおかしいと思ってたがそんなこと考えてたのか、
あたしはてっきり……」
嫌になったかと。
「え」
「……っなんでもない!」
「なんでもなくないよぉ~ねえ、なんていったの?」
噛みしめられた唇を指で解く。眉間に刻まれる皺が増えていくのは恥ずかしいからだろうか。
「……はじめて、だったからっ、……なにか、変だったのかと思って」
「……僕が嫌になっちゃったと思ったの?」
無言のまま逸らされた視線が何よりの肯定であった。
「そんなわけないでしょ~? スツルム殿、自分の体見たよねぇ?」
「………あれくらい普通なんだと」
「あれはちょっとその……普通じゃないかなあ~」
「っおまえ……!」
「いったあっ! まって! 刺してもいいけどまって!!」
鞘に納めた刃を確認して、その体を腕の中に収める。同じように早い心音に安心する。
「……ごめんねぇ、あんなことしておいて好きな子にする態度じゃなかったよね。僕自分の事ばっかりで……本当にごめんね、スツルム殿……」
頭に回った彼女の手が髪を撫でる。その心地よさにうっとりしていれば、ドランク、と小さく呼ばれた。
「…………おい」
「なあに、スツルム殿~」
また唇を噛んでいる。言いづらいことだと察して、言葉を待っていればゆるりと言葉が紡がれる。
「……したいんじゃ、ないのか」
一瞬、聞こえた語を疑った。だが、その赤に染まった相貌が何より本当を示していた。
「ええ~! い、いいのぉ~!」
嬉しさに耳が揺れる。真っ赤な顔で頷く姿が可愛くて、堪らなかった。
その小さな体を抱きしめたまま立ち上がって、寝台に落としこむ。敷布に沈んだ格好は昨夜と同じで、ふと不安が脳裏をよぎった。
「あ、でもまた昨日みたいになるかもしれないんだけどぉ……赦してくれる? 刺してもいいから……」
「………別にいい………朝……隣に」
「え!? スツルム殿、今なんて言ったの!?」
「うるさいっ! 黙れ! するならさっさとしろ、ばか……!」
理性にはすでに罅が入っている。ごめんね、と呟いて、その体に顔を寄せた。

 


2020年4月12日