契約

契約

 

実家に帰るたびに来る見合い話が面倒になったスツルムがついドランクと付き合っていることにする話


 

 いい人、いないの? 実家に帰る度に隣に住む古い知人に突撃されるスツルムは薪割りに集中しているふりをして一度目の発言を聞き流した。スツルムに反応がなくとも彼女は気にしない。いつも煩い相棒を凌駕する勢いでその唇から言葉が迸る。
幼い頃から家族共々世話になっていたため、無下には出来ないのが困り物だった。仕事が忙しいと言い続けて何年経っただろう、とうとう痺れを切らしたのか、いつの頃か見合い写真が用意されるようになった。
彼女が小脇に抱えているそれを持参した日は長い。毎回、半日かけてつらつらと見せられるので嫌というほど身に染みている。家には滅多に帰らないのでこの時を耐えればいいのだが微塵も興味のない男の話にすでに逃げ出したくなっている。ドランクの垂れ流す無意味な蘊蓄も聞き流すことが多いがそっちの方がまだ有意義だったと思い知る。
忙しさを理由に辞するにも生憎、家の用事は妹も弟も成長して手がかからなくなってしまったため、この薪割りしかない。これも帰ってきた時くらいゆっくりしたら? という妹の温情を振り切って始めたことだった。一日、何もしないなんて落ち着かない。
家族に紹介してほしいなんて言っていたことをふと思い出しなんとなく里帰りに誘ったドランクは瞬く間に弟や妹たちと打ち解けて遊びに行った。スツルムも誘われたが、気分が乗らなかった。今更ながらついて行けばよかったと後悔している。騒がしいが苛立っても刺せるだけ溜飲は下げられる。
薪を割る音の合間に何十回も聞かされた文言が重なって消えていく。行き遅れるだのなんだの子どもを産むのも大変だの。
「妹ちゃんたちも大きくなったし、あなたもそろそろ身を固めた方がいいと思うのよ」
「…………間に合ってる」
結婚なんて必要ない。
一瞬、会話が途切れる。不審に顔を上げるときらきらとした笑みが広がっていた。
「間に合ってる? あら、誰かいるのね! そうならそうとはやく言って頂戴! もう、私、ずっと心配してたのよ。もしかして一緒に来てたエルーンの子かしら? そうよね〜とっても仲が良くみえたもの!」
仲が良いなんて振る舞いをした覚えもなく、不本意な勘違いされたのはわかったが否定してまた見合い話が再開されるのも面倒だった。そう頻繁にここへ戻るわけでもないのだから誤解されたままでも問題ないだろう。そのくらいでこの煩わしいやり取りから解放されるなら後でドランクに話を合わせるように頼む方が余程、楽に決まっている。相手がいることに満足したのか一言二言で帰っていく後ろ姿に最初からそうしておけばよかったと心底思ってしまった。

 

 

朝になってもドランクの姿は見当たらなかった。夜、酒場にでも行ったに違いない。どうせ飲み過ぎて何処かの家にでも泊めてもらったのだろう。妹たちは忙しそうだ。準備、だとか会話の端々から聞こえるが祭りの予定はあっただろうか。
村を離れて久しい。もはや部外者にも等しい自身が手伝うのも憚られる。
見回りにでもと村の周辺を歩いて、魔物を見かけた。近くに巣ができているようだ。引き返して人数を連れてくるほどでもない。小物だ。大規模なものになる前に適当に散らしておく。数だけは多く思っていたより時間がかかってしまった。日が落ちる前に村には戻れたが、家にはまだ誰も帰っていないようだった。ドランクはまた遊び歩いているのだろうか。一応、口裏を合わせておきたい。起きて待つつもりだったが気づけば眠ってしまったらしい。
朝、随分と静かだと思ったが、家には誰もいなかった。まだ準備が終わっていないのだろうか。
庭先に出る。日課である鍛錬をはじめて数十分、ひたすら剣を振っていたが慌ただしい足音に動きを止める。
「あ〜! お姉ちゃん、いた! もう何してるの! 早く着替えて着替えて」
思わず眉を顰めた。妹の着飾った格好は祭りではなく、まるで祝い事のようだ。何処かの家で結婚式でもあるのだろう。
妹が出てスツルムが出席しないわけにもいかない。着替えはあっただろうか。場所を思い返しながら、ふと気づく。
「ドランクはどうした? 服なんてないだろ」
「村の人の貸してもらってもうとっくに着替えて待ってるわよ! あと、お姉ちゃんだけ! なんでこんなときまで鍛錬してるのよ」
引きずられるように一室に連れていかれる。妹たちに囲まれて、短い髪を四苦八苦されながら結われているところまではよかった。やけに煌びやかな化粧も久しぶりのことだ、張り切ったのだと思った。
だが服くらい自分で着られるという言葉を黙殺され、纏わされた格好は明らかにおかしい。
「おい、これ母さんのじゃないのか、人の結婚式に着ていく服じゃないだろ」
彼女の真っ当な疑問はいくつもの呆れたような顔に跳ね返される。
「お姉ちゃん、何言ってるの! 結婚するのお姉ちゃんでしょ?!」
「そうよ、もう、お姉ちゃんったら! みんな待ってるんだから、わけのわからないこと言わないでよ」
「ほら、完成したわ! わあ、綺麗よ! 早くいきましょう」
理解が追いつく前にスツルムは妹たちに手を引かれて、村の広場に連れていかれる。人々の喧騒の中、いつも隣にいるひどく見慣れた顔がある。
「……なにしてるんだ、おまえは」
「えっとお……新郎、かな〜?」
スツルムの家に押しかけてくるよう、ドランクにも詰め寄った想像が容易に出来た。
あなたみたいな人がいるなら早く言ってくれればよかったのに、それならお見合いなんて薦めなかったんだから! あなたにも悪いことしたわねえ、それでいつ、結婚するの? え、そんな予定はないですって! あの子は私にとっても孫みたいなものなんだからしっかりしてちょうだい! 大丈夫よ、任せておいて、準備してあげるから!
しかし、ドランクなら幾らでも上手く誤魔化せただろう。よく回る唇で煙に巻くのは得意なのだから。
胡乱な視線にスツルムの言い分を察したらしい。苦笑がその面に浮かぶ。
何か言葉を発そうとして躊躇う素振りは珍しい。
「……僕が断ってもし他の人としちゃったらやだなぁって……」
いつものように屈むドランクと目が合った。綺麗。音もなく唇だけが象った言葉がじわりと胸に焦げつく。
「……そんなのするわけないだろ、面倒だ」
なんとなく直視出来ず、双眸を伏せた。整えられた髪と白い衣装が腹立たしいほどに似合っている。着飾ったこの男に黄色い声を上げる女の気持ちが分からなくもない。心臓が少しだけ痛い。
不意に柔く握り込まれた両手が熱を帯びる。大きい手。彼女の指は隠れて見えなくなる。
「………僕のことも面倒、かな、スツルム殿が嫌なら……」
つい面を上げて睨めつけていた。金色の瞳が瞬く。それが歪むのが厭なだけだ。
「……おまえはいつも面倒臭いから、……別に一緒だ」
上手く伝えられないので勝手に解釈すればいいと思った。これ以上、素直な言葉が出せるわけがない。
「そっかあ……えへへ、嬉しいなあ……」
誰よりもスツルムの心情を読むのに長けた男は彼女の望む答えに至って、その頬を綻ばせた。そっと外された手が再び絡んで腕を引く。
「いこ、スツルム殿、ほら、妹さんたち待ちくたびれてるよ〜」
「……ああ」
繋がった指に力をこめる。振り返ったドランクが、少し驚いたように目を見開くのがわかったのは一瞬だった。視界に広がった色が瞳のものだと気づくより、唇の感触に意識が奪われる。
我に返ってつい蹴ってしまったが、頬の赤さが失せるわけでもなく、その手を振り払うこともスツルムは出来なかった。


2022年7月14日