責任とれ
スツルム殿の相手にしたい男の条件を聞いてしまってから距離感が分からなくなったドランクの話 R-18
団長に依頼内容を報告してスツルムを探して飛空艇を彷徨っていた時である。何人かに雑談じみたスツルムの話をしながら彼女の行方を聞いて、忙しいのか足早に去っていく団員を数人見送った後、ようやく談話室にいるところまで辿り着いた。その扉の前で聞きなれた声が彼女の名前を呼ぶをの耳に、思わず立ち止まる。
「そうそう、スツルムにもあるでしょ、好きなタイプとか、こういう相手と結婚したいとかさあ」
団長の妹である少女の声。その内容にかすかな興味を抱いたドランクは一時、扉を開けるのを躊躇った。
スツルムは長年の相棒で強くてかっこよくて、憧れで、その隣に立つのが何より誇らしく、ドランクにはとても大事なことだった。けれどそれが最近ちょっと変わってきていたから気づかれないように気配を殺して続きを待つ。
父親みたいな人、かもしれない、とドランクは思った。家族との手紙の話をドランクにしてからだろうか。時折、彼女は自分のことを零してくれるようになった。この間も昔の話をぽつぽつ語ってくれて、特に亡き父のことを話している時は少し表情が柔らかかった気がする。
「ねえねえ、どうなのどうなの」
彼女の催促に唸るような声は、眉間に皺を寄せた渋い顔をしている姿を想像させる。少しの間の後、女の子らしい話題とはそぐわないいつもの平坦な口調が言葉を落とす。
「こいつの子供なら産んでもいいと思える相手」
「う、うーん、なんか想像してた答えと違うけど、なるほどね。それじゃあスツルムは子沢山な家庭が築きたいんだ」
「……まあ、いないよりいる方がいい」
「えっとでも、」
無意識に、会話を断ち切るように扉をドランクは開いていた。
「スツルム殿~僕のこと待っててよぉ~どこ行ったのかと思ったじゃない、探したんだから~」
「先に宿に戻ればよかっただろ」
「ええ、そんなこと言わないでよ、一緒にもどろ~?」
嫌そうな顔をしながらもスツルムは立ち上がる。この話題から離れられて、ほっとしたのかもしれない。
夕食の話をしながら宿へ連れだって歩く。スツルムはもうとっくにさっきの話を忘れているだろう。ドランクの耳からはスツルムのはっきりと意思の籠った声が消えてくれなかったけれど。
落ちてくる水が冷たいことに気づいたのは、全身から体温が抜けた頃だった。慌ててぬるい湯に変えて、暖かさを取り戻す。
スツルムとの関係性が何となく、変わったような、気がしていた。ずっとあった壁が薄れたような、作っていたのはドランクでスツルムで、絶対に踏み込まない境界線があって、そこからは入らないように入ってこないようにして、それがちょうどよかったから、スツルムもそう思っていたはずでずっとそのままでもよくて、けれど、少しだけスツルムが変わったから、家族の話をしてくれるようになった日から、もう少し踏み込んでも良いと言われている気がしたのだ。
あの、夏の日もそうで、きっと相棒から何か違ってきたから、一緒に海にいって、ただの同僚ともいえないようなそんな時間を共に過ごした。
だから勝手に期待を抱いていたけれど、スツルムの眼中にドランクはいない。いっぱいの家族に囲まれて育ったスツルムは同じものが欲しいのに彼女が口にした先はドランクではどうしようもないのだ。
別にずっと一緒にいられればそれだけで十分足りていた。足りていたと思っていたから今までだったら容易に流せたはずなのに、その可能性のなさを突きつけられた瞬間、心中を刺す痛みと冷たさが全身に広がっていく錯覚に陥った。未だに引きずるそれを抱えながら風呂を出て、習慣のように彼女の隣に座る。
無意味に唇を開いて、何でもない話をスツルムに垂れ流しては、適当な相槌をもらう。
なんだか近いな、と思った。いつも近いけれど、この頃、今にも手が触れそうで、無意識にドランクは距離を詰めていたような、そんな気がした。
スツルムは、嫌、かもしれない。境界線が曖昧になった瞬間から今までしていた自制を緩めていた事実に今更に気づいて、ドランクは寝台から立ち上がる。
「眠くなってきちゃった~、そろそろ寝るね、おやすみ、スツルム殿~」
「……ああ」
もぐりこんだ寝台がやけに寒々しい。
何となく、その赤い瞳が背中に突き刺さっている気がした。
眠いと告げながら、すぐに寝付けなかったドランクは、繰り返し呼ばれる名前に重い瞼を開く。
「い、おい、ドランク! 起きろ!」
ひどく緩慢な動作で身を起こして、彼女の声へと惹かれかすんだ視界が一気に開けた。いつもの恰好とは違う。腹の空いた淡い色のトップスにショートパンツ。とても似合っている。唯一の瞳が彼女から動かせない。かわいいと反射的に出そうになった言葉が、どうしてか喉に詰まって、代わりに疑問が飛び出た。
「え、あれ、スツルム殿、どっか行くの~?」
「はあ!? お前が出かけるって言ったんだろ!」
彼女の手がぴくりと動く。おそらく剣を探している。腰にはなくて、寝台に立てかけてあった。痛い思いをする前にぼんやりとする頭でようやくこの間、自身が誘った内容を思い出す。
おしゃれなレストランに行ってみたいし、近くにきれいな公園ができてて、ボートに乗れるんだって。一緒に行かない? スツルム殿。
まるでカップルのデートコースだったので、断られるはずだったが、存外彼女は渋ることなく、誘いに乗ってくれた。
あの時は、耳を振り回して喜んだ。のに、なんだか今はひどく億劫に思えた。
「ご、ごめんね~、スツルム殿、すぐ支度するから……」
すぐ、といってもそれなりの時間をかけなければならない。彼女は珍しく出かけるための恰好だった。この日のために着飾ったと思っても良いのだろうか。沸いた暖かさは一瞬で、胸がいやに軋む。勘違いできない。そんなんじゃない。
ドランクとしては急いだつもりであったがせっかくの予約は間に合わなかった。
だが代わりに入った料理屋は彼女にとって量も味も満足できるものであったらしい。機嫌がいいのがドランクでなくても見て取れる。
「ここ空いてるのに美味しくてよかったねえ、あこれもどうかな、美味しそうだよ」
「……ああ、そっちも食べる」
無表情ながら、よく食べるスツルムのいつもの食事風景をドランクはゆっくりと自分の分をつつきながら眺める。美味しそうに食べる姿が好きだ。いつもずっと見ていたいと思っていた。
口端を拭った指先。赤い舌が、唇をなめて、嚥下のため細い首筋が動く。
慌てて目をそらした。毎日の光景と同じなのに。見ていられなくなって、手元のスプーンに視線を移す。その中で金色の片眼が鈍く揺らめいている。
いつも自分はどんな顔をしていただろうか。よくわからなくなって、模った笑みのまま、唇を開くことにした。何でもない話題を吐き出すのは得意で、思ってもいない感情を誂えるのは、日常だった。スツルムの前でそんな風に取り繕ったことはなかった気がするけれど。少し息苦しい。
漠然とした焦燥を覚えながら、店を出て、公園へ向かうために近くの並木道を歩く。在るのは家族と寄り添う人と人。スツルムが隣にいて、仕事でもないのに一緒に出かけて楽しいはずだから黙り込むのが嫌でずっと何かドランクは口にしている。
不意に指先同士がかすめて、気づく。周りを歩く恋人と変わらない。彼女との距離はこんなにも近かったのか。これでいいのか。相棒としての距離は。これで間違っていないのか。今にも、手が繋がって、しまうような近さは。こんなに近くても触れることができるわけでもないからただ空虚さだけが広がって、気分に翳りを落とす。
以前はもっと間隔を保っていた気がして、腕一つ分、身を離す。そのまま木々が途切れるところまで歩いた時、ふいにスツルムが立ち止まった。
「……ドランク、おまえ、体調でも悪いのか」
「ええ、そんなことないよ~」
へらりと適当に貼り付けた笑みがスツルムには見透かされている気がした。
案の定、帰るぞ、とだけ言って逆方向をさっさと歩いていく。その後ろを追いかけながら安堵していたのは確かだった。
宿につくと寝台に押し込められそうになったが、大丈夫だと言い張って、仕事の書類を片すことにした。スツルムは離れたところで、武器を磨き始めている。
別の部分に頭を割いていれば、このところ思考をぐちゃぐちゃとかき乱したがる感情を誤魔化せる気がして、けれどあまり作業に没頭出来ているとは言い難かった。
気晴らしにスツルムの傍に身を寄せて何でもない会話がしたくなったがその距離が適切で彼女の思う相方に相応しいのか分からない。
なんだかおなじ空間にいるのがいたたまれなくなって、苦しくて、いい顔をしない彼女を言いくるめ部屋を出る。
夕暮れが終わる寸前の空は、混じり合った色が黒に覆い尽くされようとしていた。
ふらりと入った酒場で余計な思考を削ぎ落とすため、杯を重ねる。
中々酔えず、ようやく頭の芯が鈍って来た頃、遠めに見えた赤い色にぼんやりと惹かれて、つい席から腰をあげた。
「あれ、スツルム殿?」
振り返った顔はすこしだけ似ていて、けれど見知らぬものだ。
「あ、ごめんね、お姉さん、間違えちゃった……」
「あら、下手なお誘いね。でもお兄さん、かっこいいから良いわよ、一緒に飲みましょ」
そんなつもりは微塵もなかったのだけど、彼女とすこし似ている姿に気が緩んで、曖昧にうなずいていた。別段、酒の味は変わらない。特に意味のない会話を重ねて、にこにこ笑って、けれどあまり楽しいとも思えない時間が過ぎる。
ふとした沈黙の中、触れられた感覚だけがある。投げた視線の元で指先が重なっていた。
酒精で揺らぐ思考の中、彼女の小さな手がだぶって見えた。あの日、スツルムは家族からの手紙を読んでいてその内容を零して、彼女にとって大切な話をしてくれることに、ドランクの口元は自然に緩んでいた。
今度実家に戻るといったスツルムが一瞬、躊躇った後、ドランクにお前をくるかと誘った。そんなこと言われるのは想定外で、すこし驚いて、けれど、そうしたいと強く思ったのだ。だからうなずいて、その瞬間、スツルムは、かすかに笑ったようだった。そのままじっと見上げてくるあかい瞳がとても綺麗で彼女がきらきらとしていてつい手が横に動く。熱くて小さい指。もっと近づいても良い気がしたから、思わず顔を寄せて、けれど残った理性が押しとどめる。
きちんと手順を踏まなければならない。少なくとも、このまだ薄らとして定かではない感情を明確にして、伝えなければ駄目だ。そういった行いをスツルムは好むと思った。だから退いた。その時、口にするにはそれはひどくドランクの中で曖昧であった。
ただ彼女の言葉を、未来を聞いてからはあの、熱を帯びた雰囲気はドランクの勘違いだった気がしてきたけれど。
ああでも目の前の相手はスツルムではないから、どうでもいい。鈍った感覚のまま近づく。
目の色が違う。あの色が良かったけど、きっと同じであってもたぶんそんなに嬉しくない。香水と酒の香りに気分はあまり良くないが、このまま惑っていれば、楽になれる、気がした。
「お前、帰ってこないと思ってたらなんでこんなとこにいるんだ……!」
弛緩した空間を割いたのは聞きなれた怒声だった。真っ赤な瞳を燃やしてドランクをねめつけるスツルムは足を踏み鳴らして近づく。
一瞬、酒の幻覚かと思ったが、肩をつかまれた痛みは本物であった。
「え、スツルム殿……?」
「体調が悪い癖に……さっさと帰るぞ」
手首を強く引かれて、されるがまま立ち上がる。逃がさないようにしたのだろうか、絡む指にどきりとして、反射的に払いのけていた。
「あ、……お金、払わなきゃ」
後悔は一瞬、誤魔化すよう、懐を探り卓上に多めに置いて、彼女の後を追うように店を出る。
「心配かけちゃって……ごめんね」
頼りない街灯が照らす道で隣を歩くスツルムから返答はない。
ちょっと飲みすぎちゃって。スツルム殿に似てたから間違えちゃった。ぼんやりしてて。恋人とかそういうのじゃなくて。何となく一緒になったから。いい雰囲気だったとかじゃないよ。
よくまとまらない頭が作り出す言い訳が口内で巡って、吐き出せないまま滞る。スツルムの機嫌が悪いのは散々ドランクを探し回って疲れているからだろう。他の女の子と親し気な様を見られてなんだか気まずいのはきっとドランクだけだ。もしかしたら嫉妬かもしれないだなんて僅かな期待だけで口にして、何でもないような態度を取られて傷を負いたくない。だからまた笑みを飾って、当たり障りのない謝罪と話題を紡いでいく。
「……おまえそれ気持ち悪いからやめろ」
「え、ええ~なになに、それって言われても……」
「作り笑い」
固まった表情をすぐに立て直す。その違いに気づくほど見ていてくれて嬉しいのに。ああでも彼女の前でいつもどうやって笑っていたっけ。
「……スツルム殿にそんなことしないよ」
怒りではない色が彼女の瞳に宿る。
「……もういい」
舌打ち交じりに落とした声からドランクには彼女の心情が読めなかった。
「ここを右かな、結構大きな街だよねえ。あ、あそこの店、雰囲気よさそうじゃない?」
「……そうだな」
どうも会話が続かない。スツルムは常々、うっすらと機嫌が悪い、気がする。この間のことはもう片がついているはずだ。彼女が怒りを長々と引きずることはない。
ドランクは前と同じようにちゃんとした距離感に戻ろうとしている。うまく出来ているか甚だ疑問だが近づきすぎてはいないだろう。
あの時の、彼女の実家に行く約束はまだ果たされていない。行ったところで何か変わるわけでもない。手紙の、相棒とでも紹介されるだけだ。それともいつもみたいにただの同僚。期待したくない。スツルムの見合うようにはなれないのだし。
頭を切り替える、依頼中は、仕事ゆえの距離感を自然に保てるおかげで余計な意識をせずに楽だった。
館に向かって、さっそく依頼主と対面する。
育ちの良さがにじみ出ているエルーンの男は、その整った相貌を困り切ったように歪めて、依頼内容を口にする。
「実は最近ずっとつきまとわれていまして……」
詳しく聞けば一方的な好意をもった女性がどこに出てもついてくるそうである。
何とか捕まえたいがどうも警戒心が強くこちらから手を出そうとすればあっという間に姿を消すらしい。
「監視されている気がして、ほんと気がめいっているんです。できれば早めに解決したくって、その……これは依頼内容には書いてなかったのですが、お願いがあるんです」
ちらりとスツルムに視線が向かう。
「そちらの方、恋人のふりをしてくれませんか?」
伏せがちだった双眸をあげ、スツルムは眉を寄せる。
なんとなく厭で、彼女の気が進まない態度はドランクを安堵させてけれど。
「……報酬はそのままか?」
「いえ、倍にします。初めに言ってなかったことですし、囮として一緒に歩いてもらおうと考えていますので」
ドランクにはその間がやけに長く感じたが彼女の逡巡は一瞬だったようだ。
「……わかった、引き受ける」
眉間の皺。を仕事中であることを思い出し、緩める。
横を歩く依頼者の恋人のふりをしなけばならない。取り繕うのが苦手であるスツルムに出来るのはせめて不機嫌そうではない顔くらいである。
「……頼んだ私が言うのもなんですが、本当によかったのですか。もう一人の方、恋人が嫌がるのでは」
「……別にそんなんじゃない。同僚だ」
「そうですか、実は私の恋人も、ドラフですので、いい話相手になると思ったのですが」
おもむろに差し出された手を合わせる。確かにこのままではただ歩いている二人だった。
手袋をした指、の感触は似ている。ゆるゆると絡んだ指はこの間みたいに離れない。
舌打ちが飛び出しそうになって、慌てて言葉に変えた。
「それはそっちのほうが大丈夫なのか」
「大丈夫です、ちゃんと伝えてますから。彼女のためにも早く何とかしたいのですよ。
あまり公にしていないので一応黙っておいてくださいね。私が当主だからってうるさいんですよ。跡継ぎなんて、別に養子でもとればいいことなのに」
そのまま恋人の話をし始めた依頼主は、やけに饒舌でスツルムが適度に相槌を打つだけ良いらしく、楽し気に瞳が輝いている。
彷彿するのはいつも隣にいる男である。が近頃、どうも取り繕った笑みが気持ち悪く苛々する。その苛立ちの原因を分かりたくもないが興味のない相手に振りまくような表情をスツルムに向けるのが腹立たしいのだと渋々認めている。
スツルムが家族の話をした日から、少しだけ曖昧になった境界を超えてきて、思わせぶりなことまでもしたくせに。
また険しくなりそうな表情を戻していれば、ふと視線を感じた。
それほど遠い距離ではない。
腕を軽くひく。腰を折ってスツルムの声が聞こえる位置に来る相手のさらに耳元に唇を近づけた。これで指示も的確に出せて、親密そうにも見えるだろう。
「後ろにいる。この先の路地に誘い出す、そこを曲がったらもう一度腕を引くから、屈んで動かないでくれるか?」
「……わかりました、お願いします」
「……スツルム殿ったらあんなに演技、上手だったかなあ」
少々離れた位置で待機するドランクは、囮に釣られて出てきた対象を依頼主の持つ私兵と共に捕まえる役であった。
すでに気配はある。手を繋いで歩く二人の後ろ。ドランクは注意深く観察する。まだ逃げられる。もう少し行き止まりのような場所が都合がいい。そう思案しながらもちらりと先の二人にも視線を向けた。
それにしても本当に恋人のように見える。何より彼女の表情が柔らかい。懐に入れた相手には情が深く、だからそこまでに至るまでは警戒心が強いのに、隣の依頼人はほんのひと時でそれを得ている。
繋がった手を引いて、屈みこむ依頼主に何かスツルムは耳打ちする。いつも自分がいた場所を盗られた気がして、あまり気分はよくない。今だけ、あれは演技。ああでも、ふりから本当になるなんてあるかもしれない。でも相手がエルーンで同族じゃないからスツルムのお眼鏡にはかなわないはずだ。だからきっと大丈夫。そんな風に至ったことは自分にも返ってきて、ため息が唇を舐める。
その間に事態は進んでいた。二人は角を曲がろうとしている。頭に叩き込んでいる地形では、そこはちょうど行き止まりのはずだ。
別の横道を通り抜け、空き家の扉の影に身を潜めた。
視線の先でスツルムが袖口を掴んだ。屈む影。近づいていく唇。
そこまでしなくてもいいんじゃない。そりゃあ相手を挑発するにはぴったりだと思うけれども。ああいいな、ドランクはスツルムに近づくのも触ることすら躊躇うのに。
強引に視線を引きはがして、飛び出してきた姿をドランクは私情にわきに置いて抑えつけた。
そのまま隠密には向かないということでここより少し離れた場所に待機している兵を呼んだ。
連れていかれる対象を一瞥、スツルムと依頼人の安否を確認する寸前、呪詛のように構成された魔法が女の口から飛び出す。
物理的に害をなす魔法ではないと即座に予測をつけて二人の前に躍り出る。
当たった瞬間、全身に熱がこもる。膝をついて魔法を解析する。これくらいなら解ける。
スツルムも依頼主を庇ったのだろう。腰に抱きつくような形で地面に倒れこんでいた。だが他意なんてないのは分かっているのにその姿にひどく動揺した。魔力が乱れて、解呪が上手くいかない。スツルムの唇が動いた。誰の名前を呼んだのか。先ほどの、口づけた光景が蘇って、ぐらぐらと頭が揺れた。
厭だ。触らないで。僕だけのそばにいてほしい。決して面に出すことのなかった欲求が膨らんで、抑えきれない。
ふらふらと立ち上がり気づいたときには、腕の中にその小さな体を囲っていた。
「…だい、……ぶ……しが、めん……うみる」
「ました、……へや…を……」
声が遠い。腕の力を強めた。けれど彼女の視線がドランクに向いていないことはわかる。
それが嫌で嫌で、こっちだけをみていて欲しくて、強引に顔を寄せて、唇をふさいだ。
瞬間、頬に走る痛みに、一瞬、自我が戻る。
「……あとにしろ」
ぼんやりと曇る頭で唯一聞こえたその声が最後だった。
気持ちいい。停滞する意識の中、ただその感覚だけを追いかける。腰を動かして、柔い内側を突き上げる度にかすれた嬌声が耳を打つ。ドランクの体の下でスツルムが快楽に耐えていた。
二つの赤い色の下に涙の痕がある。泣かせた。ひどいことをしたかもしれない。もやがかかった頭の隅で痛みに歯を食いしばる顔が浮かんで消えた。スツルムは初めてだったのに誰かにとられそうな焦燥感がずっとあって早く自分のものにしたくて、性急な前戯だけで押し込んだ。奥深くまで無理やり広げられて、苦しかったに違いない。
そう思いながらも箍を外されて肥大しきった嫉妬心が、心中を占めて、罪悪感を薄めていく。
もっと近くにいたい。手を、繋ぎたかった。僕だって、スツルム殿からキスしてほしい。さっきのエルーンの男でいいなら僕でもいいでしょう。
唇を重ねても、反応が鈍くて、すこし乱暴に咥内を探る。繋がっている箇所は締め付けを強めるけれど、舌の動きは緩慢なままだった。
肺腑が痛むころ、唇を離した。唾液の滴る口端を舐めて、乱れた呼吸が絡んで、熱をあげる。
「……スツルム殿からもしてよ」
伸ばされた腕が首を引き寄せて、一秒にも満たない間触れただけ。それだけでもドランクの渇望は満たされる。
夢かもしれないしそうじゃないかもしれない。けれど濁った思考と感覚ではもうどちらでもよくて、欲求のまま細い首にかみついた。きっとずっとそうしたかったのだ。下腹部からせり上がる快感が脳を焼いていく。甘い痺れがもっと欲しくて、小さな体躯を揺さぶった。
痙攣して狭まる中を熱で埋めていく。最後まで奥底に沈めてからゆっくり引き抜いた。蓋がなくなるとあふれだす程、行為を重ねているのに、まだおさまりがつかない。
弛緩する体をうつぶせに白い敷布へと押し付けて、後ろから、貫いた。
「ぅあ……!」
跳ねる背中を舐めては、歯を突き立てる。
薄い腹をなでながら、奥を叩く。強烈な快楽に促されるまま吐き出してまた何度も同じように繰り返す。
ひどく無意味な行為にも思えて、けれど縋るようにドランクの名前が呼んでくれる声がそれを赦してくれているようで、強くその肢体を抱きしめた。
肌寒さを感じる体を縮こまらせながら、のろのろと体を起こす。見慣れない場所。依頼で動いていたはずなのに、何故。
無意識に彼女の姿を探して、すぐに視界がとらえる。隣に眠る姿は、肩がむき出しで、真っ白とは言い難い、情交の痕が散らばる背中が飛び込んでくる。心臓が嫌な音を立て、指先から急速に冷えていく。
「え、な、スツルム殿……どうして……僕……」
声に反応したのか、振り返ってドランクを見るスツルムは、一瞬、眉をひそめて、気だるそうに唇を開いた。
「お前、あの女の魔法にかかって……仕方ないから、あたしが……」
一気に蘇る情景に顔面がひきつるドランクとは対照的にスツルムは冷静でまるで何もなかったような振る舞いであった。あんなに熱を分け合ったのに彼女にとって仕事中の事故みたいな気持ちなのだろうか。同族だったら責任をとるとかなんとか言いくるめられるのに、ドランクとでは何もない。このままいつも通りに戻るのだろう。戻れるのだろうか。白い敷布の上で、ドランクが動くたびに乱れて甘い声をあげる姿が脳裏に焼き付いて離れてくれない。
「責任とれ」
自身の願望をついに言ってしまったのかと思った。しかしそれは確かに彼女の唇から発せられた声だった。
スツルムは厳格だから、初めてをあげちゃったら結婚しないとだめだとか考えてるのかもしれない。ドランクとしては、一向にかまわないのだろうけど、スツルムの望むような家庭は築けないし、後で厭われるくらいなら今すぐそんな古臭い思想はさっさと改めなおしてもらわなければと意を決して面をあげる。
真っ赤だった。耳まで全部、瞳の色のようだった。
「聞こえなかったのか、責任とれって言ってるんだ」
その瞬間、ぐちゃぐちゃした考えはなくなって、ようやく気づいた。これはスツルムから伝えられる最大の好意だ。殺意にも似た鋭さを双眸に煌めかせて、きっと好きだといわれている。ずっと隣にいて、見てきたからそれくらい、わかる。
「……本当に、いいの……? スツルム殿、僕とじゃこどももできないし、この間言ってたような家族になれないよ」
「……おまえ聞き耳立ててたのか」
声色に乗る非難は、会話の内容を聞かれてた気恥ずかしさからだろうか。
「気になっちゃって……ごめん……」
「……別にそのくらいの相手じゃないと恋人にする気はないってだけだ」
奥歯の軋みと爪を立てる音。
「…ッおまえのことは……そう思ってる」
口元が和らぐ。スツルムは絶対に口にしないからその代わりにドランクがたくさん言わなければならない。
「好き、好きだよ、スツルム殿、ちゃあんと責任とるからね」
小さな手のひらに同じものを重ねて、固く閉じられた唇に口づけを落とした。
2024年9月29日