若ドラスツ
若いころの二人の話
好きです。僕と恋人になってスツルム殿。
まるで今日の夕食はどうする〜だとかそういった気安さでいつものへらへらとした締まりのない笑みを飾り隣のエルーンはそう言った。この男、何を言ってるのだろうか。は、という疑問よりも先に拳が出た。ドランクの体はくの字に折れ曲がって悶絶する。久しく見ていなかった格好である。出会って、散々やり合ったはずなのに間も無くしてコンビを組もうと喧しく何度も誘ってきた時を思い出す。あまりにもしつこく鬱陶しいので暴力で追い払っていたがししぶとく諦めない。行く先々で現れる。先に折れたのはスツルムである。渋々、同行させたら有用であった。報酬は増える。薬代は減る。スツルムの苦手で面倒な交渉も要らなくなった。僕、使えるでしょう。と自慢げな顔は腹立たしかったが、その分を差し引いても余る相手だった。それからずるずる続いている。表情や所作から滲み出る胡散臭さは抜けないがさすがに数年、隣にいれば信頼に値する相手だとスツルムも理解している。否、理解しているつもりであった。こんな唐突に馬鹿げたことを言い出す男であったとは少し失望して、一瞬、本気でこのまま置き去りにするか考えた。あっちでもこっちでも女をひっかけるだらし無さを知っているが隣の相棒にまで手を伸ばそうなどと考えるなんてとうとう見境がなくなったのかもしれない。胡乱な瞳を向けていることにが相手にも伝わったのだろう。慌てたように立ち上がったドランクは鈍痛を耐える表情で弁明を始めた。弁明というより、どれだけ自分がスツルムを好いているかという彼女にとって阿保らしさや怒りを通り越して頭の心配をする告白を切々とである。ただ哀れみをこめて見つめていたので何一つ彼女には届いていなかったが、最後まで話は聞いてやった。もういいだろうと思って彼女は歩き出す。スツルムは忘れることにした。背後からドランクの声が追いかけてくるが脚は止めない。ドランクも次の日には正気に戻っているだろう。
だが少々楽観的すぎたのかもしれない。ドランクはどうやら諦めていないようで頻繁にスツルムと恋人になりたい旨を延々と唇から紡いでくる。
あまりにしつこい。ああ、そういえばこの男、コンビを組むときもスツルムが首を縦に振るまでつけ回したのだった。そう思い出して身震いする。同じ状況だ。いつか頷いてしまうかもしれない。微塵もそんな気持ちはないのだがあの時もそう思っていたはずだ。しかし、今この男は隣にいるわけでまんまとスツルムは懐にいれてしまったのだ。彼女はどうにかこの無駄な一連の出来事に終止符を打つために考えた。放置して好転するわけがないとよくよく知っていたからである。
今日もまたよく回る唇で彼女への告白始めたドランクを横目に言葉を遮れば、とびきり嬉しそうに耳を振った。
「え、なあに、スツルム殿〜! もしかしてうんっていってくれるの〜?」
この険しい面を前にして随分と呑気な頭である。
「あたしは不誠実なやつは嫌いだ。他に何人も女がいるくせに好きだとかぬかすやつとかな。そんな男と付き合うわけないだろ。全員と清算するなら話は別だが」
鼻で笑った。そんなこと出来るわけない。見ている限り相当女好きだ。スツルム一人のために派手な交友関係を改める気なんてないに決まっている。
言い捨てて、言葉を聞く前に顔を見ずスツルムは踵を返す。この時、その表情を目にしていればこれでようやくあの煩わしい日々から解放されると安堵している場合ではないと気づいていたかもしれない。その笑みはまるで恋が成就したかの如く輝いていて、うん、わかったよ、なんてその唇は模ったのである。彼女は分かっていなかったのだ。スツルムは一片もドランクが向ける感情を信じていなかったわけで単なる遊び相手の一人として彼女を誘っているのだと思っていた。それが間違いであったと数日後、思い知る。
仕事の待ち合わせ場所にいたドランクの頬に赤い手形がくっきり残っていた。どうせ付き合っているうちの一人と喧嘩でもしたのだろうと特に女性には温厚なドランクをすこし珍しく思いながらも気にも留めなかったが、それは一度や二度ですまなかった。傷だらけだったり明らかな修羅場を思わせる顔を数度見せられればさすがに気付く。ドランクは清算しているのだ。関係を。スツルムが言った通り。
まさかと思う。本気だったのか。そんなわけがない。そんはず、ない。そう言い聞かせていたが怪我が増えていくのに比例して機嫌のいいドランクは不気味だった。そして自身の口にした言葉が脳裏に蘇り心肝が冷える。
そして恐れていた日が来てしまった。
ドランクはスツルムに手を握って嬉しそうにこれで恋人になってくれるんだよねとのたまった。どうやら全員と手を切ったらしい男は満身創痍であったがそれを魔法で治す気はないらしい。スツルムに対する誠意と考えているらしかった。不誠実の塊の癖にだ。
振り払おうとして存外強い力で掴まれていることを知る。
「……お前は何言ってる」
「ええ、スツルム殿がぁ、女の子たちみんなと別れたらいいっていったじゃなあい、僕、刺されそうにもなったんだからあ〜」
哀れっぽく言っているがどう考えても自業自得だ。その傷の量から察するに片手では足りない人数と同時に交際していたに違いないのだから。
「ね、ね、言ったよね。スツルム殿。これで不誠実じゃないんだからいいよね。全員と別れたら別だって言ってたじゃない」
「っ、今後お前がまた女を増やすかもしれないだろ」
もう話は付き合う前提に進み始めている。何故こんなことを言わなければならないのだ。しかし今更、翻せないのだ。そんなこと言っていないだとか誤魔化すのは一度口にしてしまったのだから反するのは不義理だ。信頼に重きを置いているスツルムにとって、契約にも近しいことを言ってしまい、不本意にもドランクが応えてしまったので後は付き合えない理由を他に付随させていくしかないのである。
「スツルム殿以外にちょっかいかけたりしないし他の女の子とお付き合いはしないよ。もし浮気したら別れてもいいから、ね?」
そう言われてしまえばスツルムは何も言えなくなってしまった。この男、女性関係以外で目立った欠点がない。唯一の喧しさはとうに慣れてしまっていて、今更論うのも違う。
もう妥協すべきであると思った瞬間に敗北が確定した。もっと遠い人間であれば辛辣に切って捨てていた。相棒としての信頼が確かにあることが厄介であったのだ。仕事に関しては好ましいと思っている事実が余計に拍車をかけるし、生理的嫌悪を抱けないのもまた一つであった。
スツルムの返答がないことを肯定としたのだろう。握っていた手を離してその小さな体を囲おうとする腕をしかし、甘んじて受ける気はない。足を思いっきり踏んで背を向ける。待ってよぉなんて情けない声を受けながら追いついてくる足音は変わらなかった。
どうせすぐに浮気して終わるだろうと思っていた関係はしかし彼女が思うほど簡単に清算されず現在まで続いて、今度はしつこく結婚を迫られるなんてこの時は知る由もなかった。
2021年1月4日