その習性
ドランクの匂いがついてるスツルム殿の話。エルーンについての捏造有。モブ視点。
その赤い髪を見るのは、初めてのことではなかった。この男がよく利用する酒場は、傭兵たちの溜まり場になっており、情報交換や仕事を探す場としても利用されている。一般人も訪れないわけではないが剣を三本携え、隙のないその出で立ちから恐らく同業者だろうと見当付けていた。女の傭兵の数は男に比べ、少ないが珍しいわけでもない。ただいつも一人の姿が目を引いたのかもしれない。
酒場でひとり呑んでいればどんな無骨な大女でも誘いに行く輩はいるものだ。酒が入っているならなおのことで、特に彼女の見目は、決して美人とはいえないが、炎の様な瞳は凛として惹きつけられる。しかし誰も声をかけにいく者はおらず、酒瓶だけが増えていく。
すこし興味が湧いて近くを通る同族の男に何気なく問いかける。
「あれはスツルム&ドランクの片割れだな、知らないのか?」
「ああ、あの……。見るのは初めてだ」
「もう一人は愛想が良くてたまに同じ席を囲ったりするがあいつは大抵無視されるしとんでもなく強いからな、みんな不用意なことはしないんだよ」
「そうなのか、なるほどな……」
「まあ、俺はそれだけじゃないんだが……近づいてみろよ、お前ならわかる」
そう言ってエルーンの男は苦笑する。
気配を消して背後から、なんていきなり切りつけられることはないだろうが明らかに警戒されるだろう。横の繋がりが重要視される世界だ。あまり同業者に悪感情を持たれるのはよくない。
男はにこやかな笑みを貼り付け近づく。
「すまない、少しいいか?」
彼女の返事を聞く前にその隣へ腰掛ける。そこで男は先ほどのエルーンが言っていた意味を瞬く間に理解した。
彼女から漂う匂いは、恐らく彼女自身のものではない。他者のものが全身を覆うように隙間なく纏わり付き深く浸透している。同族であれば隣をすれ違うだけでもすぐにわかるほどわざとらしくつけられ、まるで他の雄に警告するかのような香りであった。どれだけ独占欲の強い男が傍にいるのだろうか。ここまでのマーキングをエルーンの女にすれば恋人でもきっと嫌がられる。彼女はドラフであるため、それほど嗅覚に優れず気づいていないのだ。
これでは確かに同族はあまり近寄りたくないだろう。明らかにこの匂いの元は格上だ。強者に牽制され緊張状態が続くのは辛いものがある。
正直、男も本能的に逃げ出したくなった。
だがそれほど執着される女がどんな者か興味は唆られる。せっかく話しかけたのだからもう少しと思い頭の中で話題を作り上げた。
彼女はちらりと一瞥だけこちらに寄越し、カウンターへと視線を戻す。
「この町に来たばかりで何処で仕事を受ければいいのかわからないんだ。教えてくれないか?」
「わざわざあたしに聞かなくてもほかにいるだろう」
「ここにいる輩は皆、君以外強面で少々話しかけずらいんだ。俺はどうも臆病でね」
「お前、傭兵に向いてないんじゃないか」
それっきり黙ってしまった彼女は、グラスを煽る。からんと溶ける氷の重なりに混じるようふと金属音が鳴った。音の方向に視線を向ければ、ピアスが男の足元に落ちていた。横の彼女が同じものを右につけている。どうやら金具が外れてしまったらしい。それを拾って彼女に見せると冷え切った双眸で睨まれたじろいた。
「きみ、のだろう? 壊れたんじゃないか、良ければ直すが……手先は器用なんだ」
訝しげな視線が過ぎていくが彼女は耳に残っている部品外し渡す。飾りの部分が取れたようだが輪の部分が緩んだだけのようで隙間を埋めてやれば直るだろう。手先が器用なのは本当だ。数分もかからず元の形を取り戻す。
「これでどうだ?」
「……ありがとう」
渡したピアスを安堵したような表情で受け取った彼女は大切そうに手に包み、よく見なければ分からぬほど小さく口元を緩める。
「……大事なものなんだな、恋人にでももらったのか?」
「なっ、あいつはそんなんじゃない……!」
薄ら染まった頰の赤があれだけ顔色を変えず杯を重ねていたのだから酒がまわったわけではないくらい察せられる。彼女はどいつもこいつも、と悪態づきながらピアスをつけた。ちり、と金属音が響く。
「……仕事が欲しいならここの裏にある店にいけ」
立ち上がった彼女はそう言って踵を返す。周りの評判からは想像し難いが随分と律儀な性格のようだ。濃厚な男の匂いを残しながら去る彼女に何となくその相手の姿を見てみたくなった。つまるところ単なる好奇心である。
酒場を出た彼女の後を密やかに追う。
歩みが早い。気づかれないように尾けているせいもあり、何度か見失いそうになった。角を曲がったところで不意に肩を叩かれる。
「……ねえ」
金色の瞳が突き刺さりその鋭さに心肝が冷えた。
「スツルム殿のあと尾けてるみたいだけど、何か用かなあ……?」
一瞬でわかった。この青い髪をしたエルーンが彼女に匂いをつけている男だろうと。明らかに彼女を覆っていた匂いと同じであった。穏やかに微笑する優しげな面持ちとはひどく対象的に殺気じみた感覚にあてられて身が竦む。あれだけ執拗な跡を残す男だ。彼女に仇なすような不審な他の雄なんて排除しにかかるのではないかと死すら予想させるような本能的な恐怖がこみ上げる。
「お、俺は……」
「……ドランク、お前か? あたしの後を尾けてたのは」
不意に割り込んだ聞き覚えのある声色に重苦しい緊迫が解けた。
「えぇ! ひどいよ、スツルム殿〜、僕じゃないよぉ〜こっちの人だって」
そのエルーンは、先ほどの態度を一変させて、彼女の傍に寄る。やけに近い。
「お前は……さっきの」
「い、いや、尾けているつもりはなかったんだ、そのピアス直したが結構傷んでるからきちんと修理に出した方がいいかと思って……それを伝えるために追いかけて来たんだがあんた足が早くてな」
「スツルム殿はせっかちだもんねぇ〜」
「うるさい、ドランク。……お前、そんなことを言うためだけに追いかけてきたのか」
「いや、まあ……店も教えてもらったし……大事なピアスなんだろ」
「え! そうなの!? スツルム殿、このピアスそんなに大事にしてくれてるの!」
喜色満面なエルーンの男の耳にも同じ飾りが揺れている。やはり恋人同士ではないだろうか。
そもそもこの男にも薄らと彼女の匂いが混ざっているのだからそうでなければおかしい。どんな酔狂で恋人でもなんでもない相手と揃いのものを身につけ、香りを交じり合わせているのだ。
「おい、お前、余計なことを言うな!」
抜かれた剣に一瞬、どきりとしたがそれは隣のエルーンに向けられる。それを何処か嬉しそうに受けているあのエルーンはすこし緩んでいるようにも思えたがまだ警戒されているのが肌でわかった。
「じゃ、じゃあこれで……」
これ以上あのエルーンの男に睨まれては堪らない。足早に男はその場から立ち去った。
数日後、ふと街中ですれ違った彼女は、隣の男を冷たくあしらっているのに以前より濃くむせ返るようなあのエルーンの匂いをさせていたのである。
急いで風呂から上がったドランクは、まだ眠っていないスツルムに安堵した。彼女が寝入るのは早く長風呂のドランクが上がる前には大抵もう床についてしまうのだ。
そのせいで最近、彼女に自身の匂いをつけられず薄まってしまってどうも落ち着かない。
以前同じような事態に、堪らずこっそり彼女の眠っている寝台に潜り込み抱き込んで眠ったが、当然、起きた彼女の怒りを買って、一日、口を聞いてもらえなかった。スツルムは無口だが、相槌は打ってくれるし話は聞いてくれているので完全に無視は随分と堪えたものである。
砥石を片付けているスツルムの隣に座り込み、そっと腰に抱きつく。冷たい視線がドランクを貫くが日常じみて慣れているのでそのまま頭を体に擦り付けた。
「鬱陶しい! 離せっ!」
「やだあ〜最近、いちゃいちゃしてないもーん」
肩口に顔を沈ませる。彼女の香りにうっとりするが、やはり薄まっている匂いが気になる。だから男が寄ってきたのだろうか。スツルムへの下心があるようには見えなかったが、他の者に近づかれると匂いが移るので不快感は拭えない。
正直あと数十分この体勢でいたいくらいだが確実にスツルムの怒りの沸点が振り切れるだろう。
ひとつ手っ取り早い方法がある。ので欲にも従って彼女を抱きしめる腕に力を込めた。不意に口を噤んだ男を不審そうに見つめるのにドランクが何をしたいかなんて一片も気付いていないのである。
このままであればそろそろ拳が飛んでくるのは、必然的であるので先手を打つために、今にもドランクを非難するべく開こうとしている彼女の唇を己のもので強引に塞いだ。
2020年7月10日