焦げつく痕

焦げつく痕

 

酒を飲みすぎると記憶が飛ぶドランクの勘違い嫉妬話


 隣で深く寝入っている男を一瞥しスツルムは寝台から足を下ろした。体躯に残る違和感に顔を顰めながら散らばった服を回収し浴室に向かう。
 汗と共に流れていく白、からは目を背けたが、湯に触れたくらいで消えようのない肌の痕は、まざまざと昨夜の情景を蘇らせた。つけるな、と言っても無意味なので見えぬところを指定したがそれでも多い。美味しくもないだろうに飽きず舐めてくる姿は犬みたいだと思った。エルーンなのだし似たようなものかもしれない。
 頰に集まる熱は、風呂だけのせいではなく、軽く頭を振って嫌でも浮かんでくる記憶を追い出す。手早く身を清めて浴室から出たスツルムは何時もの格好で未だ目を覚さぬドランクの傍に腰を下ろして、その顔を眺めた。端正だなとは思っている。優しげで整っている面を好きな奴は多いだろう。スツルムは別段、好みでも何でもないが嫌いではない。あの宝石みたいな金色の瞳はきらきらしていて綺麗でたまに真剣な顔をしていると目を逸らしたくなる。
 その顔をふにゃふにゃにしてドランクが泥酔して帰ってきたのは一日が終わる寸前であった。気配には敏感だがどうしてもドランク相手は緩んでしまうようでとっくに寝入っていたスツルムは体にかかる重みで目覚める羽目になったのである。ドランクとの物理的な力関係はほぼ同等だが酔っ払い相手ならスツルムに負けはない。
 しかし引き剥がすのも面倒で眠気も手伝い放置していたが、息苦しいほど抱きつき、甘えた声でスツルム殿、と名を連呼してくる相手に何となく、この後が想像できた。案の定、寝着の隙間から侵入してきた手が膨らみに触れ始め、舌が耳を掠めるたびに飾りが鳴る。
 明確なやりとりがあったわけではないが好きだと言われたことは確かでスツルムも別段、否定も拒絶もしたつもりもない。聡いドランクには態度に出やすいスツルムの感情など筒抜けだろう。実質恋人みたいなものなので問題はないし、ドランクとするのが嫌なら寝台から叩き出している。
スツルムは口元を引き結びながらも撫でるように髪の毛をかき混ぜる。顔を輝かせて大きく耳を振り、そのまま唇を重ねてくるドランクに応えながらも、ただまたか、と思った。
 ドランクは特別酒に弱いというわけではないのだけどおそらく一定まで飲むと記憶が飛ぶ。
 初めてドランクが酒に惑って押し倒して来た時はそんなこと露ほども知らず、目覚めた時、何も覚えていない相手に一瞬呆然とした。素面のドランクは口づけすらしてこないのでそれすら初めてでいきなりのことに一晩、羞恥に耐えたのに、僕、いつのまに帰ってきたの?なんて不思議そうな顔で開口一番に言われたのだ。なんだか腹立たしくて、柄にもなく緊張していた自分が馬鹿らしくてスツルムは平静を装い、酔って全裸になり始めたと虚実を述べた。信じ込んで慌てる様に溜飲は下がったが、その日に限らず、時折、泥酔して、ドランクはそういった有様になるので現在もそれを徹底している。自分で気づくまで絶対言ってやらない。素面だと相変わらず、ドランクは手も出さないし、口づけもしてこない。それに苛立っているわけじゃない。ない、と思いたい。
 それと単純に恥ずかしくて、言えるわけがないのだ。抱かれた、なんて記憶のない相手に伝えるのが出来るならとっくに恋情の一つくらい吐きだしている。それすら出来ないのだから口を噤むしかない。
 最近、少々、怒りは収まってきたので情けで下着くらいは履かせている。いつも若干、落ち込んでいるので一応、羞恥心はあるらしい。
そろそろ時間であった。
「おい、起きろ。いつまで寝ているつもりだ」
「あれぇ、スツルム殿?」
「さっさと起きろ。何時だと思っている」
「えぇ〜? もう朝? ……もしかしてまた服、着てないの、僕? 止めてよぉ、スツルム殿〜」
「寝ているのに止められるわけないだろ。早く服を着ろ」
緩慢な動作で服を取りに行くドランクの背中を漫然と視線で追い、思わず息を詰めた。
「ううん? なんか背中も痛いし……どこかでぶつけたかなぁ?」
「……そうなんじゃないか、腫れてるぞ」
そう言い残しながら荷物を肩に担ぐ。
 嘘だ。ドランクの背中には薄ら線がいくつか走っている。爪痕である。誰がつけたかなんてあまりに明白なので、俯いたスツルムの頰はすこし熱い。あまり目に入れていると昨夜の、要らぬことまで彷彿してしまうので魔法で治されていく様子に安堵する。気をつけているつもりだが二度も三度も意識を飛ばされたら正気を保っていられない。ドランクが悪い。
 一箇所未だに小さな爪痕が腿の横に残っていて、瘡蓋になっている。あの時は舐めて、なんて言うから、羞恥を耐えるためにドラフの怪力で思いっきり腿を掴んでしまった。甘えた声で強請られると弱いのは自覚しているがすこし緩みすぎな気もする。
 唇を柔く噛みながら扉の前でドランクの支度が終わるを待つ。
「あ!」
「……なんだ、ドランク」
二人で部屋を出る寸前、上がった声に振り返れば、ドランクの顔が存外近くにあった。
スツルム殿。と名前が耳を撫でる。
「    」
脳がその言葉を認識するや否や、意識せずとも頬が熱を帯びた。無言で剣を抜く。
「いったぁ! あっ、待ってよぉ〜おいてかないで、スツルム殿〜!」
足早に廊下を歩くスツルムは、ドランクが追いついてくる前にその染まってしまった赤い顔を元に戻したくてたまらなかった。

 

 

 

 

 ふるった刃が一本の剣を弾き飛ばした。反動で倒れ込む姿を一瞬、目に止め、すぐに構え直す。
「脇が甘い! しっかり構えろ、次っ!」
「は、はい!」
別の若い兵士が前に立つ。先ほどよりも数段上だろう。それでも隙が有り有りと分かった。数合剣を交わし、決着がつく。
「足の踏み込みが遅い! もっと前に出ろ! 次だ!」
「ハイ!」
 オーキスから以前と同じ依頼を受けたスツルムは広い修練場で剣を振っていた。今回は一週間程度連続で稽古をつける予定であった。ドランクは別の場所で講義しに行ったはずだがいつの間にか端でこちらを眺めていて、呑気に手を振っている。一瞥して、眉間に皺が寄った。
 隣には見慣れない人影が一緒にいる。講義を受けていた生徒だろうか。その格好はおそらく魔法士だろう。
距離がやけに近いことに何となく思い当たる節がある。あまりにもよく見る光景なのだ。その娘はきっと頬を染めて隣の男を見ているに違いない。人当たりが良くて顔も良ければ人を惹く。ドランクは半分くらい自覚的だろうがそうでなくともああやって異性や時折、同性までも引っ掛けている。
声が聞こなくとも何を言っているか想像がついた。告白されているか誘われているかそんなところだろう。それに調子のいい唇で適当に煙を巻いているのだ。ごめんね、なんて謝っているのかもしれない。ドランクの大きな掌が慰めのようにその娘の頭を過ぎる。
「ひっ!?」
「……悪い、やりすぎた」
相手の頬をかすめた刃が肌を切り裂いていた。
仕事中だ。雑念を振り払い、次の相手と向き直る。
 最後の稽古を終え、息をついた所で、剣を収めていれば一人走りよってくる姿があった。
「……あの! 僕、前と比べて強くなってますか!?」
前、と言われ以前の時を振り返って、そのドラフの少年を思い出す。あまり人を覚えるのは得意ではないが、一人、他より年若く懸命に剣を振るっている姿がすこし弟に重なって記憶に残っていたのかもしれない。
「……ああ、前よりはな、まだまだだが筋はいいんじゃないか?」
「ほ、ほんとですか! ありがとうございます!」
綻んだ顔に僅かに彼女の目元も緩んだ。きっと弟もこのくらい大きくなっているだろう。この少年のようにもうスツルムの身長を超えているかもしれない。
「こ、この後、……」
「っ!?」
不意に頰に当たったひやりとした冷たさに息を飲む。振り返ると満面の笑みを飾ったドランクが水入れを片手に立ったいた。
「お前、いきなりなんだ」
「いった! ひどぉい、お仕事終わりで疲れてるスツルム殿のためにつめた〜いお水持ってきてあげたのにぃ〜」
「普通に渡せ!」
いつもながら尻を刺してもにやにやだらしなく笑っているので腹が立つ。
「あ、そうそう、お仕事中はオーキスちゃんがお部屋用意してくれるんだってぇ〜そこまでお世話になるのもなんだか悪いなあと思ったけどせっかく用意してくれるんだし、一部屋だけ借りることにしたよ〜」
渡された水を飲む。動いた体は思っていたより水分を欲していたらしくなんだか癪ではあるが礼を言わぬわけにもいかないので小さく声を落とす。ドランクには聴こえているはずだ。やはり間延びした返事が返ってきた。
 水入れを引き取るドランクは暑そうだねぇなんて呟いて取り出したハンカチでスツルムの額を拭っていく。
「勝手に決めちゃったけどスツルム殿もそれでよかったかなあ?」
「問題ない、屋根があるだけ十分だ」
「だよねぇ〜」
ハンカチが角にまで及ぶのを怪訝に思ったがどうやら砂塵がついてたらしい。訓練中、足元の細かい砂が舞っていた。すこしだけどきりとしたのは、普段、他人に触らせないからだろう。
「スツルム殿ぉ〜髪の毛にも砂がついちゃってるよ〜」
「あとで洗えば落ちるだろ」
ふと視線を感じ思い出す。
「お前、何か言いかけてなかったか?」
「い、いえ、何でもないです、また明日もよろしくお願いします!」
慌しく礼をして去っていく後ろ姿を眺めながら、スツルムはいつまでもしつこく髪の毛に触れている隣の男に向かって再び剣を突き出した。

 

 

 

 

 今日の依頼に不備はなく、スツルムとドランクは、用意された部屋への廊下を歩いていた。窓から差す夕暮れ時の淡い色が二つ影を伸ばす。
「今日のスツルム殿、ホーントカッコ良かったよぉ〜み〜んななぎ倒しちゃってさあ〜」
飽きず吐き出される称賛を適当に相槌を打ちながら聞き流す。黙れなんて言ったところで無意味なのは明白でむしろ相手をすると余計増長するのを知っている。
 ドランクの唇が違う話題に転換したところで見知った顔と対面した。
「あ、スツルムとドランク、久しぶり!」
「妹さん、久しぶりだねぇ〜君も団長さんも元気〜?」
「うん、元気元気。また手伝いに来てくれるとうれしいな」
「ああ、他に依頼がなければな」
「こーんなこと言ってるけどスツルム殿は頼まれたら断らないよねぇ〜」
「……黙れ、ドランク」
「いったあ! 褒めてるのに〜」
「相変わらずだね、二人とも〜じゃあ、また今度よかったら!」
横を通り過ぎていく彼女は、ふと立ち止まる。
「……あ、ねえ、ねえ、ドランク、ちょっと」
手招きする彼女へドランクが近づけばその顔は耳元に寄せられた。ドランクほど聴覚に優れているわけでもないのでスツルムには何一つ聞こえない。二人がこちらを時折、見ているのは気のせいだろうか。
 話は数分にも満たず彼女は顔を上げる。
「じゃあまたね!」
「うん、またねぇ〜」
手を振る彼女を前にしてにこやかなドランクに、しかし、小さな違和感を覚えた。何処か誂えているような表情はスツルムくらいしかわからないだろう。誰からもきっと普段通りの微笑にしか見えない。他者を傷つけるような人間ではないのを知っているが彼女に何か言われたのだろうか。無意識に鋭さを増す瞳で小さくなる背中を見つめる。
「……スツルム殿」
「なんだ」
目線をドランクに変えれば金色の瞳がじっっ彼女を射抜いていた。片目がただ過ぎていくのは何処となく居心地が悪い。普段、よく動く唇が返答もせず閉ざされているのだから尚更であった。
 不意に響いた装飾の音はドランクの指が耳に触れたせいであった。耳から首へそこから視線はさらに下へと向かう。
「ドランク、一体なんのつもり……」
きつく握られた腕に言葉を飲み込まざる得なくなる。指が食い込み痛みを覚えるほどに掴まれたそこを引かれて、半ば引き摺られるよう廊下を進む。
「っおい、ドランク! 離せ! ドランク!」
制止の声はまるで聞こえていないようだ。ドランクが一度も振り返ることはなく充てがわれた部屋に着くのは早い。乱暴に閉じられた扉に驚いたのは一瞬、そこに押し付けられたスツルムはしたたかに体を打って、痛みに表情を歪ませる。瞳を釣り上げて、拘束する男を見上げ、しかし、唐突に塞がれた唇に息を詰めた。強引に割り込む舌が歯列をなぞり、咥内を弄る。一方的な蹂躙に与えられる息苦しさと足元から這い上がる快楽に抵抗は削がれていく。行為の最中のような乱暴なそれ先ほどまで穏やかに笑っていたドランクから唐突に受けているのは違和感でしかない。
「ん……っ……!」
脚から力が抜けて、座り込みそうになる彼女を抱き上げたドランクの顔をようやく見、ぞっとした。底のない色をした瞳はひどく無感情だ。息を整える間も無く、寝台に落とし込まれたスツルムにドランク覆い被さってくる。
いつも豊かな表情が削げ落ちたその顔に反射的に身を退こうとしてしかし、腕を敷布に片手で纏めるよう結われ失敗した。
 耳の裏をゆっくりとドランクは撫でる。
「……スツルム殿、僕以外に大事な人いるの?」
「は? 何を言ってる!? おい、手、離せ……!」
強い力で押さえ込まれた両腕はぴくりとも動かず痛みだけを訴える。
布を裂く音で服が強引に開かれたのがわかった。晒した肌に羞恥が迫り上がる。指が腹を撫でた。
「……こんなにいっぱいついてる」
「……っ、それお前が…………!」
ようやくドランクがおかしい理由に至って、しかし、いくら言葉を重ねても届いている気がしなかった。その間にも触れる手つきはひどく乱雑だ。柔らかな皮膚に熱い舌が滑る。
剥き出しの腿を掴み爪と歯が食い込んだ。制止の声と悲鳴は強引に合わされる口づけに封殺される。
 無理矢理割り開かれた身体は初めて受け入れた時よりも痛く、溢したくもない涙が頬を伝った。

 

 

 

 好き、だと言うたびに頰に朱が差す彼女が見たくて、よく唇にその言葉を乗せていた。スツルムから同じそれをもらったことはないけれど恥ずかしがり屋で表情を取り繕うのが下手な彼女の気持ちを推し量るのはそう難しいことではなく、言葉なんてなくても充分だったのだ。
 だからなんとなく、くちづけたり抱きしめたり、恋人の行いを、他の何をしても赦されるようなそんな気がしていて、けれどとても大事な子に触れるのは抑えが利かなくなりそうですこし怖かった。
だから苦笑気味の声を潜めて、耳打ちする彼女にドランクは首を傾げるしかなかった。
「……独占欲もほどほどにしないとスツルムに気づかれたら怒られるよ」
「えぇ〜、何の話〜?」
スツルムに抱く感情は、綺麗に整えられたものだけではなく、彼女の言う通りあまりみせたくないそれだって含まれているけれどどうも話が繋がらない
「……耳の裏の痕、ドランクでしょ」
耳を疑った。そんなはずはない。まだ一度だって彼女に触れていないのに。
視線を飛ばしても当然、離れた彼女のそれほど細かい箇所は見えなかった。普段は髪の毛で覆われているので思い出そうとしても紅い色しか浮かばない。
「まあスツルム、自分じゃ見えないし大丈夫だと思うけど。相変わらず仲良しだね〜」
手を振りそう言い残して去っていく彼女に上手く笑えただろうか。
 きっと見間違えたのだろう。そう思っていた。そう思いたかった。嫌な軋みが胸から鳴っている。口にした名前は、変わらない響きのつもりだった。揃いの飾りが鳴る。特徴的な耳、の裏に色がついていた。まだそうだとは思いたくなくて、縋るように視線を下す。いつもは意図的に見ないようにしている胸元の服の隙間からぎりぎりの位置に同じものがいくつも見える。明らかな情交の跡だった。
氷が突き刺さったように冷たく胸が痛んだ。
その辺りからよく覚えていない。
 スツルムは何か言っていた気がする。きっと嫌だとか離せだとかドランクを拒絶する言葉だろう。あんなに痕がついているのだから別の誰かは赦されていてだけど自身は駄目なのが悲しくて苦しい。
 強引に貫いて揺さぶり続けていれば、悲鳴が徐々に嬌声に変わっていくのを、冷えた感覚で聞いていた。すでについている痕を上書きして、まだ綺麗なところは全て汚した。
全部全部、自分のものだと思っていたのにそうではなくて、ドランクは何も考えたくなかったのだ。快楽を貪って、ただ行為にのみ没頭した。
 気絶した彼女を前にしてようやくすこしの冷静さを取り戻したドランクは、その身体を抱き寄せる。痛々しい幾つもの痕は己がつけたのに直視出来ず近くにある自分の服で包む。
 ひどく疲れていて眠りたかったが、腕の中にある彼女が目を覚ました時、いなくなるのが怖くて目蓋を落とせずにいる。恐らくそんなはずないのにどんどん厭な想像に転がって、這い上がれない。鳴り止まない動悸が気持ち悪い。小さな体を抱きしめて、肩口に顔を埋めて、すこしおさまる。
 朝日が昇るまでずっと脚の上で腕に囲って寝顔を眺め続けていれば、赤い瞳がようやくドランクを写し込んだ。
「あ、スツルム殿〜起きた? お風呂入る?」
何でもないように装っていつもみたいに口元を緩める。意識が定まらないのか、ぼんやりとした様子の彼女はゆるゆると現実を認識しはじめる。節々の痛みに気付いたのかもしれない。身動いて顔を顰めた。
「……体調崩したって言っておくから今日は横になってた方がいいよ〜」
頭を撫でて、額に唇を寄せようとして手に阻まれる。手首を掴めば赤い指の形が嫌でも目に飛び込んできた。ゆっくりと傍に下して、指を絡ませる。振り払われなくて安堵した。
「……おい、ドランク」
「ごめんね、ちゃあんと二人分働いてくるから……」
「話をきけ、ドランクッ!」
「スツルム殿、喉痛めてるんだからあんまり声だしちゃ……っ!」
ドランクの唇にスツルムのそれが触れる。重ねるだけのくちづけはけれど一瞬ではなく、長い。険しい表情は嫌々なのではなくて照れているのだ。それくらいわかる。わかるくらい一緒にいるのに。
ようやく離れた唇がドランクの眼前でゆっくり動く。
「……左の太腿」
「え」
「……いいから見ろ」
指差す方向を視線で辿る。小さな瘡蓋は細い線で爪痕に似ていた。
「……それ、あ、あたしが…………」
語尾は囁くよう消えて、けれどこれは彼女がつけたのだろうと確信した。しかし口籠るほど恥ずかしいと思っているならそれは。
「……お前、酔うと服を脱ぐだけじゃない」
それ以上は口を噤んでしまった彼女は、真っ赤だ。
「……もしかして、スツルム殿についてたの全部僕がつけたの?」
「……そう、言っただろ。お前聞いてなかったけど」
「……ごめんなさい」
「……あたしも黙ってたから、別に、いい……」
 服が散らばっていた朝は何度あっただろうか。少なくとも片手では足りない。
彼女へ無体を働いた後悔と泥酔して襲っていた事実がのし掛かる中、スツルムを知っていたのは自分だけだったと何処か安堵していて、厭になる。
「……いつも無理矢理で嫌だったんじゃ……ごめんね、スツルム殿……」
「……酔っ払いのお前なら何とかなるに決まってるだろ」
金色を瞬かせた。意味を咀嚼して、理解に至った瞬間、全身が発火したかのように熱さが巡る。
「え!? え、えぇ〜!」
言ってしまったことが彼女が考えていたよりも大事であったとドランクの反応から気付いたのかもしれない。何を問いかけても貝のように固く唇を閉ざした彼女は、けれど頰だけは赤く色づいていくので堪らずその体躯を胸に引き寄せきつく抱きしめる。
「スツルム殿ってば、僕のことだいすきだよねぇ〜」
「っ調子に乗るな、ばか!」
怒ったような声色だけど大人しく抱かれて、その角にくちづけたって嫌がられないのだから調子にも乗りたくなるものだとドランクは思った。

 

 

 

 

 カーテンの向こう側からのその一歩を彼女はひどく躊躇っている気がした。踵の高い靴ときっと着慣れない服への羞恥が歩みを鈍らせているのだろう。近くで見たいドランクは自分から試着室の傍に寄って眼下にその姿を焼き付ける。
 白いワンピースは腰から下がすこし膨らんでいて裾を細やかなレースが縁取っていた。首筋から肩までは肌が覗き、二の腕をふんわりとした袖が包んでいる。
足元のピンヒールのサンダルも同じ色でベルトが細い足首に留められていた。
「すっごく似合ってるよぉ〜、スツルム殿〜」
「ドランク! これいつもの服じゃ……!」
「あ、それはもうさっき頼んでおいたから三日後くらいには届くんじゃないかなあ?」
「お前がこの間ダメにした服を買うのに採寸がいるって言うからきたんだ、話が違う!」
「えぇ〜でもスツルム殿ちゃあんと着てくれてるし、お金もう払っちゃったからそのまま着てデートしようよぉ〜依頼も終わったから今日はお休みでいいよね〜」
「何言って……っ!?」
恐らくいつものように刺したかったのだろう。立てかけていた剣を抜きけれど足元が崩れてよろめく。その体を抱きとめて、自身の体を支えに立たせた。ドランクにしがみつく小さな掌が震えていて口元が緩む。
「はい、これ帽子だよぉ〜今日は日差しが強いから被っててね、スツルム殿」
赤い花飾りがついた広いツバの麦わら帽子が思っていた通りよく似合っていた。彼女が着替えている間に見つけてドラフ用ならとつい購入してしまったものだ。
可愛い、と呟く。俯いた彼女の表情は隠されているけれどその手には力が込められて、見なくても頰が赤らんでいるに違いない。
「お昼は、お肉がいっぱい食べられて美味しいお店、予約してあるから楽しみにしててねぇ〜」
「……おい、予約って……お前最初からそのつもりだったんだろ……!」
「じゃあ行かない? スツルム殿、ひとりで帰っちゃうの?」
彼女は足元を見ていた。履き慣れない細いヒールの靴。
片方の腕に掴まるよう促せば、眉間に皺を寄せながらもスツルムは二つの腕で包むように抱きつく。
店の女の子に見送られながら外に出て、賑やかな店が両脇にあふれる道を彼女に合わせてゆっくりと進む。
その間もドランクの腕に絡みつく両腕と、歩くことに必死な彼女が気づいていない押し付けられる柔らかさが心地よかった。
たぶん、彼女の体の均衡の良さならヒールにもそのうちに慣れてドランクの支えは不要になるだろうけど、その時は手を繋げばいい。照れ屋な彼女に嫌がられるのは目に見えているがスツルムが弱い表情を誂え、強請るのはとても得意なのでドランクは、ふらりふらりと覚束ない足取りの彼女を今は存分に楽しむことにした。


2020年6月15日