温泉と傭兵

温泉と傭兵

 

温泉に行くスツルム殿とドランクの話


 木々の隙間から溢れる光が薄暗い足元を照らしていた。折れた枝が散開している中、道とも言えるものが地面を薄ら色づけているがこうも同じ景色が続くとなれば、迷子を疑いたくもなる。
「本当にあってるのか、この道で」
「大丈夫、もうすぐだよ、スツルム殿〜、早く入りたいねぇ、温泉だよ、温泉」
呑気に鼻歌を奏でながら先導する男は随分、上機嫌だが、スツルムとしてはドランクのように楽観的にはいられない。
 森深くの辺境の宿に向かうことになったのは、厄介な依頼が始まりだった。要人の警護という名目の依頼は相場より明らかに高い報酬がついていた。その時点で怪しげではあったが、ドランクがすでに了承を返してしまったものを、信用にも関わるため簡単に反故にするわけにもいかなかった。警戒しながらも進め、しかし、案の定、全く関係のないお家騒動に巻き込まれた挙句、暗殺の濡れ衣を着せられ逃げ出す羽目になったのである。抜け目ないドランクが報酬はしっかり回収していたが面白そうだったからだなんて理由で危険が見えているのに飛び込むのは大概にして欲しい。
 終日、逃走劇を繰り広げてやっと安全圏まで来たスツルムは、相方の尻をざくざく刺したわけだが痛いという割に妙に嬉しそうだった理由はすぐに判明する。
 ほとぼりが覚めるまで目立たぬよう身を隠すのはスツルムも同意する。しかし、いつの間にか温泉宿に泊まることになっていたのは知らぬ所であった。
「いやあ、大変だったねぇ〜僕たちなあにもしてないのにあんなに大勢で追いかけられちゃってさあ〜これはのんびり休息を取るしかないよね、スツルム殿〜!」
「……お前、最初からそのつもりだったんじゃないだろうな」
 元々根回しは手早いが、やけに今回は準備がいい。あの追われる日々の何処で宿を予約する余裕があったのだろうか。スツルムの胡乱な瞳が過ぎるのを、ドランクは相変わらず緩んだ表情で受け止める。
「そんなわけないじゃな〜い、たまたまだよぉ〜
スツルム殿だってこそこそ隠れて暮らすより、美味しいご飯と気持ちいいお風呂がある所でゆっくりする方がいいでしょう?」
その通りではあるが素直に認めるのもなんだか癪なのでドランクを刺しておく。しかしその悲鳴は別の声にかき消された。獣の咆哮と甲高い叫びは、すぐ側から聞こえて来る。
スツルムが地を蹴った瞬間、ドランクも並走していた。
その巨躯の前で身を震わせているのは、若いエルーンの女であった。目配せに意図を悟るドランクがそのエルーンを抱え、スツルムはその合間に剣を抜き躍り出る。威嚇として二足で立ち上がるその魔物は傭兵業をしている身としては、それほどの敵ではないが一般人では十分な脅威だろう。その爪がスツルムに到る寸前、剣による一閃で致命傷を負ったその巨体はよろめく。勢いよく吹き出す血を避け、左手に持つもう一方を振るい残る僅かな命の灯火をかき消した。
「スツルム殿、かっこいい〜!」
「……うるさい、そっちは」
「大丈夫だよぉ〜怪我一つないみたい」
地に向けた剣を薙ぎ血を払う。鞘に収めながら視線を動かした先にはドランクに支えられたエルーンが丁度、立ち上がった所であった。
「あ、あの! ありがとうございました! 必死で逃げてたんですが追いつかれてしまって……」
「大丈夫? こんな所歩いてたら危ないんじゃない? 道も入り組んでるし」
「近くの集落に住んでいるんですよ。今日は温泉に向かうつもりだったんですが……」
「あぁ〜ここを真っ直ぐ進んだとこだよねぇ〜僕たちも向かうつもりだし一緒にいこうか? スツルム殿もいいよねぇ?」
「構わない」
「いいんですか! 知った道ですけどさっきのですこし心細くて……助かります」
「じゃあ出発しようか? この辺、足元が危ないから掴まってていいよぉ〜」
手を差し出すドランクにおずおずと指を絡ませる彼女の頰は薄ら赤い。思わず嘆息する。助けて貰った男の顔がよくてなんだか優しくされれば、簡単に気持ちが傾いてしまうものらしい。ドランクと旅をしてきてそういった光景を何度も見てきたので一般的なのかもしれないがこんなに胡散臭いのによく一目惚れするものだ。
その少女の心境が手にとるようにわかったスツルムは、呆れたようにドランクを眺めた。

 

 

 鬱蒼とした森の中に立つ重厚な趣の館は、よく目にする街並みとは違う造形をしていた。この宿では泊まり客とは別に湯だけが解放されているらしく、広い玄関でエルーンの女とは別れる。
 通ってきた廊下は簡素な作りにも思えたが、案内された部屋は、細部まで美しく整えられ、普段泊まる宿とは格段に位が違う。物の価値にさほど頓着しないスツルムでもわかる品質の高さにドランクを思わず睨め付けた。
「……お前、これいくらしたんだ」
「こないだの依頼でかなりふっかけたから結構余裕があるしたまにはいいでしょ〜? 逃げるのも命がけだったしさあ〜」
一週間この部屋で三食付き。スツルムは考えるのを放棄する。相棒をちくちく刺しても、今更、金は返らぬし、遁走からの山道で体は確かに休息を欲していた。
 独特の香りは床だろうか。靴を脱ぐように言われ素足だが、木目ではない足裏の感触に眉を潜める。歩きながら部屋を眺めていたスツルムは不意にドランクに腕を引かれ、大きな窓まで誘われる。
「見てみてスツルム殿〜外にお風呂ついてるんだよぉ〜露天風呂っていうらしいけどいいよねぇ〜」
窓の外にある木枠の風呂はスツルムにとって初めて目にするものだった。そこを開けると森林に囲まれた空間に湯の匂いが充満している。夕焼けにも似た色をした仄暗い照明が幻想的にすら思え、しばし見入る。
「ねぇねぇ、一緒に入ろうよ、スツルム殿〜」
背後からまとわりつく腕を鬱陶しそうに振り払う。興味は惹かれたが、付き合う義理はない。じわりと沸く熱に気付かないふりをした。
「……一人で入ってろ。あたしは大浴場にいく」
「えぇ〜せっかく部屋風呂付き予約したのに〜」
「そんなことで無駄遣いするな、馬鹿」
ドランクを一突きしてから他の剣を壁に立てかける。さすがに剣を三本携えて、宿をうろうろするわけにもいかないだろう。壁にかかっている変えの服を手に取る。腰の辺りを紐で縛って着るらしい。ユカタヴィラと宿の主人は言っていた。それを一式抱え、廊下に出る。
「待ってよ、スツルム殿ぉ〜」
追いすがる足音と声を耳にスツルムは歩みを早めた。すぐに追いつかれるだろうがすこし距離を取りたかったのである。なんだか気恥ずかしかったので。

 


 硬い岩に背を預け、風呂の一角に座ったスツルムは、四肢を伸ばして、空を仰ぐ。湯が全身に染み入る感覚は悪くない。額から伝う汗を拭いながら肩まで沈み込む。

「あの……」
かけられた声に視線を向ければ先ほどのエルーンが隣に座っていた。
「助けていただいて本当にありがとうございました、お強いんですね、何をされているんですか?」
「……傭兵だ」
会話の続ける気のないスツルムは一言口にしてからは黙すままで遠くに湯を打ち付ける音だけが響いていた。
「その……あの人とは恋人、なんですか?」
舌打ちしたくなる。
 度々問われるそれはスツルムにとってひどく面倒だった。どう答えようが、大抵、ドランクに懸想した女の行動は変わらないのだ。どうやらその方面ではスツルムは与し易いと相手には映るようで肯定を口にしようが侮られる。その理由は自覚しているが無愛想で身を飾るのにも無頓着なのは性根からだ。変わるものでも変えたいとも思えない。
なのでスツルムはいつもと同じように問いに返す。
「……別にあいつとはそんなんじゃない」
ただ明確な関係性を約束しなくても、きっと最期まで傍にいるだろうけど。ドランクに大事にされているのは知っているし、スツルムだって家族と同列くらいに優先している。
そんなことまでわざわざ口には出さないので、どこか目を輝かせているようにも見える少女がどう思おうが知ったことではない。傍に置いていた護身用の短剣を掴んで湯から立ち上がる。
「……ろくなやつじゃないぞ」
呟いた言葉は聞こえたかわからない。背後からの視線を感じながらスツルムは冷えた岩肌を踏みしめる。
 着慣れない衣装を悪戦苦闘しながら身につけて、部屋に戻れば夕食が卓上に用意されていた。綺麗な彩りが所狭しと並べられていて、否応にも腹が鳴る。
まともに食事をするのは数日ぶりだった。食に拘りはないが、どうせ腹に入れるならスツルムだって美味しい方がいい。
 部屋にドランクの姿は見当たらない。長風呂なのは承知しているので、スツルムは床に座りこみ、ドランクを待つ。先に食事を始めると喚きだすのは目に見えている。湿った恨み言を延々と聞かされるより空腹を我慢する方に若干傾いた。
 しかし、いくら待とうとも廊下からドランクの足音は聞こえてこない。壁掛けの時計から三十分の経過を知る。苛立ってきたスツルムは部屋を出て浴場までの道を戻る。
 見慣れた髪色が目に飛び込んできたスツルムは眉を潜めて、けれど隣にある姿に足をその場に留めた。肩が触れそうなほどの距離に自然と表情が強張る。笑みを交え談笑する様は声をかけるのは憚られた。
踵を返す寸前、その少女は不意につま先で立つ。
疑いようのない想いを抱かれているのは知っている。けれどこの感情だけはどうしても理性で御せないのだ。

「スツルム殿、もう食べちゃってるのぉ〜待っててよ〜」
「お前が遅いからだろ」
酒を煽る。流し込んでいる澄んだ液体は、思っていたより強い酒であった。だが染まり始めた頰とは対照的に頭は明瞭に働いている。
酔えればいいのに酒に強い自身がそう簡単につぶられるとは思えなかった。
「わ、もう三本も開けてるし! ちゃんとご飯食べてから呑んでる〜? 体に悪いでしょ〜」
ドランクはあまり減っていない膳を目にスツルムの隣に座して皿に食べ物を取り分けて差し出してくる。それを押し除けて小さな杯を口につける。口元に持ってくるスプーンを鬱陶しそうに顔を背けていれば、ドランクは唇を尖らせる。
「そんなに怒らないでよ、スツルム殿ぉ〜、待たせたのは悪かったけどさあ〜」
腹が鳴るのは確かに不快ではあった。しかし、それはもうおさまっている。
「……お前、隙がありすぎるんじゃないか?」
険を含んだ声色が口をついた。酔いがまわったせいにしたい。一瞬の沈黙はやけに長かった。
「……もしかして見てた?」
「……さあな」
隣でドランクが満面の笑みを浮かべているのが目にせずともわかって、臍を噛む。醜態を晒している自覚はある。腹立たしいがドランク相手だと冷静さに欠いて言わねばいいことまで唇から飛び出すのだ。
「えっともしかして、これって焼きもち? 焼きもちなの、スツルム殿!」
その問いには無言を貫く。ああ、無意味だ。肯定を見抜かれるに決まっている。
抱き上げられ、腕に囲われた。肩に落とされる頭が重い。
「っおい、離せ」
「えへへ〜嬉しいなぁ〜スツルム殿が焼きもちやいてくれるなんてぇ〜」
そんなんじゃない。忌々しげにつぶやいてしかし、黙殺された。耳がいいくせに都合のいいことしか拾わない男である。
「でもぉ、あれ仕方なかったんだよぉ〜いきなりだったし〜大体、スツルム殿だって僕のこと恋人だって言ってくれなかったよねぇ〜こーんなに仲良しなのにぃ」
あの大浴場は隣り合わせだった。聞こえていないわけがない。腰を這う手を抓って舌打ちする。
「あたしが何を言おうと一緒だ」
「わあ、僕ってば罪づくりだなあ。
でもぉ、僕はスツルム殿ひとすじだから安心してねぇ〜」
近づいてくる顔、を手で遮った。
「やめろ、他の女と合わせたくせに」
「えぇ〜!? そんなあ〜! いつまで!? ねぇ、いつまで!? いつまでお預けなの、スツルム殿ぉ〜」
「……うるさい、お前だって同じ状況なら気にするだろ」
「そんなことないよ? 気にしないって〜」
 嘘つき。どの口が言う。先ほどと表情に一片の差異がなくともスツルムにはわかってしまう。
側からみればドランクは平常でけれど長年の付き合いは余計なことだって気づいてしまうのだ。向けられている感情の重さ、だとか。人間不信か他者への興味は死滅していて代わりにそれが全部スツルムに収束している、だとか。煩わしいとは思わない。それを厭うならとっくに逃げ出しているだろう。
「ねぇねぇスツルム殿ぉ〜ちょっとかすめただけだってぇ〜ゆるしてよぉ〜」
喚くドランクを無視して、目の前にある皿を摘んだ。泣き言を垂れ流しているドランクが不意に黙ったので、次いで角に覚えた感触にそれくらいは見て見ぬふりをすることにした。

 

 


 しかし、性格の悪い男である。態度に出してしまったのが失敗だった。珍しく早朝に起き出したドランクはあろうことかあのエルーンの少女と出かけていたらしく朝風呂上がりのスツルムと鉢合わせした。スツルム殿〜、なんていつもの間延びした口調で名を呼んで手を振るドランクに悪びれる様子は微塵もない。スツルムが不快感を表に出すのを待ちわびているのである。期待通りの反応を露わにするのはひどく癪だが指を絡めて繋がれている手に憮然としてしまった。苛立ちもするが、目元を染める隣の女にも同情する。本当に性格が悪い。

すれ違いざまに刺してやろうかとも思ったが、喜ばせるだけな気がして、無言で通り過ぎた。
 昼間、部屋でもドランクはスツルムの悋気を煽りたいらしくわざとらしく少女の話を出してはスツルムの反応を伺って、口元を緩めているのだ。近くの遺跡を教えてもらっただとか、妹がいるんだとか。
その顔にもドランクの行動にも当然苛立つのでその度にぶすぶす刺すのだが、痛がりもせずだらしなく笑っている。いい加減、呆れて聞き流しながら、剣を研ぐ。日課の鍛錬を夕方にでもするつもりだった。
 不意に腰に巻きつき始めた腕。
相手にせず黙々と手を動かしていたが、片腕に込められた力は、スツルムの逃げ場を潰すつもりの意図を感じた。
 律儀に口付けてこないのだが、時々、不穏さを察している。この状況下、そんな気分になれるわけがないので、先ほどから腿を撫でてくる手のひらを叩いて退ける。
「やめろ、ばか」
「えぇ〜なんでぇ〜僕、スツルム殿といちゃいちゃしたいな〜ちょっとだけでいいからぁ〜」
「いいわけないだろ、離せ」
「だってぇ、ユカタヴィラ着てる可愛いスツルム殿は今しか見られないしぃ〜出来ればそのまま…」
「……ドランク、休暇中にずっと寝たきりでいたいのか?」
今し方研いでいた剣を突きつければ、囲いは解ける。億劫そうに座り直すドランクを置いてスツルムは部屋を出た。

 

 

 幾つかあると聞いていた辺りの温泉を巡って部屋に帰ってくれば、なんとも間の悪い状況に遭遇した。傭兵業を続けていれば血生臭いことは多々あるがいくらスツルムだって朝まで生き生きとして動いていたひとがたが死体になった姿を見たいわけがない。先日言葉まで交わしたのだから尚のことだ。手にかけた男はそういった神経が擦り切れているようなので淡々と後片付けに勤しんでいたが。
 部屋を汚さぬように息の根を止めたのだろう。血の跡すら伺えぬやけに綺麗な体が横たわっている。
「あ、スツルム殿〜!」
その笑みも明るい声色もこの場にはひどく不釣り合いだ。
「……もういいのか」
「あれぇ、スツルム殿、この子、追手だって気付いてたの〜?」
「当たり前だ、身のこなしが普通じゃない」
「まあ、そうだよねぇ〜こんなに襤褸がでてるなんて初仕事だったのかなあ……」
足音がしない。気配がしない。杜撰すぎだ。ただ懸想を抱いた女を演じるのだけは見事であっただろう。もしかしたら、なんて無意味な憶測を振り払う。あまりにも不毛だった。
「どうする? 逃げるか?」
そもそも追手も消さず適当な所で逃げるつもりでいた。しかしどうやらドランクはスツルムとは別の考えだったようだ。
たまに意見が合わない時もある。ドランクがどうしても押し通したいことがあったときだとか。
「色々聞き出したけど単独みたいだし多分、騒ぎにならなかったら気づかれないと思うんだよねぇ〜だからこれ、捨ててくるよ」
その冷たい体躯を物のように担ぐ男は、やけに機嫌がいい。
「これで、ゆっくりできるよねぇ〜戻ってきたら一緒にお風呂入ってほしいなぁ〜?」
場違いな響きだ。もうエルーンの少女のことをドランクは忘れたのだろう。否、そもそも最初から記憶していないのかもしれない。
 ドランクが身を潜めながら窓から出ていった後には何もなかったかのように昨日と同じ整然とした空間が広がっていただけだった。

 

 

 冷えた風が凪ぐ屋外だというのにやけに顔が熱かった。ドランクの脚の合間に座る彼女は肩まで湯に浸かり、小さく膝を抱える。
部屋に備え付けられた露呈風呂は、二人で入ると嫌でも密着する。それが恥ずかしくて縮まっているのだ。
「スツルム殿、気持ちいいねぇ〜」
「……ああ」
生返事に似たそれ。触れている部分を意識してしまい、どうしても他が疎かになる。あまりにも執拗に誘うのでついに首を縦に振ってしまったがやはり断ればよかった。透き通った湯は無防備に体を写し淡い光と言えども照明は十分に明るい。
「わざわざ面倒な依頼探してきたかいが〜あ、」
「……お前、やっぱり最初から……!」
振り返ると存外近くに顔があり、スツルムは言葉を呑んで息詰める。澄んだ金色の瞳が突き刺さるのが気恥ずかしく、口元まで湯に沈めた。
 不意に腕を引かれた。向かい合うよう膝の上に体が乗せられる。鼻先が今にも触れそうな距離で唇を指が伝っていく。
「ねぇ、もういいかなぁ? だめ?」
スツルムの沈黙は肯定に等しく、羞恥に視線を逸らした瞬間、唇が重なった。
背筋を撫でられ、緩んだ唇へ舌が割り込み、中をかき回す。息苦しさが募っていくが、ドランクは角度を変えては口付けを続ける。時折、離される一瞬で酸素を取り込んで、けれど足りない。目眩がする。咥内を弄る舌先は執拗で、唾液が口端から溢れていく。ようやく解放されたスツルムは、涙が滲み始めた両眼でドランクを睨んだ。
「……長い!」
ふるった拳は綺麗に入る。
「いった! ほ、ほらあ、最近してなかった分というか……」
「……うるさい、ばか、大体お前が……」
 非難めいた言葉が喉元に詰まる。
臀部にあたる硬い感触が何かわからぬほどスツルムは無垢でもない。
「お、おい、おまえ……」
「だってぇ、好きな女の子が裸で抱きついてるんだよぉ〜? こうなっちゃうのも仕方がないというかあ〜」
割れ目に擦り付けるような動きに思わず前にある体躯にしがみつく。
「な、なにして……!」
「……ここじゃしないよ? スツルム殿が上がってもやだって言うならちょっといじわるしようかなあって思ってるけど」
奥歯を食んだ。並べられた二つの布団を今になって思い出してしまった。熱混じりの金の瞳を真っ向から見ていられなくて額をドランクの胸元につける。
「……っ、ここは嫌だ」
音を萎めたって、ドランクの耳には届かないわけがないのにスツルムが誘いを受け入れるのは、いつもどうしたって囁くような声色になってしまうのだ。
 わかりきった返答が吐き出される僅かな間ですら耐え難く、照れ隠しに意味もなくドランクの長い指を掴んで、スツルムは力を込めた。

 


2020年5月25日